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今月の言葉

2019年11月1日

撮影現場

 この稿の筆者が、以前ビール会社に勤務し、広告主の立場で、コマーシャル制作をしていたことは、すでに何度か書いた。

 30年前の当時、テレビCMはCFと言った。CFはコマーシャルフィルム、つまり映画の手法でつくられるものであった。今日殆どのテレビCMは ヴィデオとコンピュータグラフィックスの組みあわせで創られているが、筆者の時代は、フィルム映画型CMのちょうど最後の時代にあたる。日活調布、東宝砧などの映画スタジオにも良く通った。監督、制作さん、照明さん、キャメラさん、音声さん、メーク(化粧)さん、スタイリスト(衣装)さん、ヘアさん等々の大一座にさらに広告代理店の制作者と営業。それに広告主である私が加わって、まあ冷静に考えてみれば贅沢三昧の撮影現場の経験は、今では味わえないものがある。

 映画の撮影現場というのは、ある一つの虚構を、大のおとなが何十人がかりで、ホントの世界にしてしまおうとする、なんとも不思議な魔術の世界であった。

 たとえば、キャメラに写らない大道具の裏側の本棚も、けっしておろそかにせず本物の書籍を詰める、そうしないと「気分が出ない」という世界なのである。

 撮影現場では、まず一本何秒というシーンの撮影が開始されるのに、(それが天気に左右されないスタジオ内であっても)、準備に数十分、数時間はざらにかかる。その主たる原因は、照明を決めるのに時間がかかるからである。ヴィデオが進歩する前のことだから、フィルムは基本的に対象物に十分の光が露出されないと、画面が暗くなってしまう。だから室内のシーンでも十分すぎる照明が当たるのだが、その電器の光が、あたかも自然光と同じような自然な陰をつくらないと「照明が決まった」とは言えないのである。照明さんは、そのために周りの都合などお構いなしに器具を右に振ったり左に振ったり、照度を強くしたり弱くしたりしながら一心不乱に調整する。そして照明が決まったと思うとキャメラさんに「どうでしょう」と尋ねる。キャメラさんが納得すると、今度は監督がキャメラを覗く。監督が納得すると今度は私、広告主の番で、キャメラを覗いて情景を確認し、茶道のお手前よろしく「けっこうです」とうなずく。何故広告主が、キャメラを覗くかというと、私が格別エライからではなく、巨額の広告費を掛けてつくるCFに後戻りはきかないからである。すなわち、広告主が試写を見てから「撮り直し」ということになったら、大損害が生じるので、予め現場で広告主の若僧の「うなづき」を得ておこうという、広告代理店の陰謀によるこの数秒間だけが、15秒のCMを撮るのに一日をかけるCF撮影現場における、私の出番なのであった。そして、いよいよタレントさんの登場。衣装、化粧、整髪によって作り上げられた「虚像」が、何秒かのシーンを演じる。「カァット!」という監督の声。OKかNGか一瞬現場に緊張が走る。現在のように撮ったシーンを、その場ですぐに見直すことは出来ないので、OKかNGかは監督の勘だけが頼りなのである。

 なにもかもが人間くさい。そんな時代であった。