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  2021年7月
   

糞 尿

     

 
   糞尿の話、といってもこの稿の筆者はスカトロジスト(糞尿愛好者)ではないので、糞や尿そのものの話ではない。もっぱら近世、近代の社会がどのようにし尿処理を行ってきたかという話である。

 まず、お役所言葉で、糞尿を社会が処理することを「し尿処理」と呼ぶ。し尿の「し」は昨今常用漢字から外されてしまい、ワープロでも出てこない字であるが、「屎」と書く。部首の「尸」は「しかばね」の意であるそうだから、人が米を食った後の屍が「屎」であり、水を飲んだ後の屍が「尿」とは、極めてわかりやすい。ちなみに、「屎」と同義の「糞」も部首が米偏になっている。米ノ異ナル者、転じて米の果てを掃除、始末するという意味でもあるそうだ。

 さて、読者各位は、なんとなくこんな風に思っておられないだろうか。すなわち、近世、欧州の国々たとえばパリでは、人民がおまるに汲んだ糞尿を建物の上階から道路にぶちまけ、下を歩くものはそれを被らないように、気をつけて歩かなければならなかった。また王侯貴族の館ヴェルサイユ宮にも、ろくな客人用のトイレがなく、客人が携帯おまるに出した糞尿は、従者が外の庭園に捨てたので、くさくて仕方がなかったらしい。それに引き換え、同時代の江戸では、近郷の農家が舟で江戸へ寄せて、人家の糞尿を汲み取って、購入して帰り、田畑の肥料にするというリサイクル・システムが成り立っていた。つまりは、し尿処理に関しては、欧州より我が国の方が優れてエコであったという理解である。この理解は、大筋そんなに間違っていない。が、問題はその後の話である。

 本稿は、パリの下水道について書くことが目的ではないので、概略だけを述べると、19世紀初頭ナポレオン一世の時代に始まり、1860年代(我が国の明治維新の頃)ナポレオン三世のパリ都市改造と並行して完成した下水道網の威力で、パリは漸く疾病からも守られた衛生的な都市に生まれ変わっていった。一方の、江戸・東京はどうだったのだろうか。

 簡単に言えば、世界に冠たる江戸のエコ・システムは、明治、大正、昭和と時代が下るにつれて崩壊していった。最大の理由は、化学肥料という技術革新。それに人件費増による輸送コスト増加、都市部の人口増による糞尿の供給過多などが相まって、農民が人肥を買い取る仕組みが、算盤に合わなくなってしまったからである。1918(大正7)年には、農民が金を出して人肥を買うのではなく、市民が金を出して農民に糞尿を汲み取っ
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てもらう仕組みが出来た。これは大きな転換点であった。その後、様々なし尿処理の技術が発明され、時代と共にいくつものし尿処理場が東京周辺に建設されたが、その基本は人家の便所から糞尿を汲み取り、し尿処理場に輸送して処理を行い、液体と固体とを分離し、固体の方からはなにがしかの窒素などの有用な物質を取り出すという方式であった。だが、東京は着々人口増加をみて世界一の大都会へと発展していったのに対して、し尿処理能力は、いつも不足していた。この結果、河川などへの不法投棄、役所による合法的な海洋投棄などにより、1937(昭和12)年頃には、東京湾沿岸は赤痢など多くの疾病の発生源となってしまった。だが、この間一貫してし尿を下水に流すという発想はなかった。なぜなら、日本の都市インフラは貧弱で、下水管が糞尿投棄に耐えず、また末端の処理能力もなかったからである。この問題を最終的に解決したのは、水洗便所の普及と浄化槽の導入であった。要約すれば、都市インフラに頼るのではなく、個々の家庭や事業主の負担において、衛生的な便所を設備し、あわせて、その地下で個別にし尿処理を行うことにしたのである。結局役所は何も出来なかったのだ。
 
     
 

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