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今月の言葉

2022年10月1日

先輩後輩

 2021年8月24日夜、東京メトロ南北線白金高輪駅のエスカレーターで、通勤帰りの会社員が、尾行してきた男に、突然振り向きざまに硫酸を掛けられるという事件が起きた。犯人は被害者の大学サークルの先輩。それほど親しくはなかったようだが、要するところ被害者が「後輩のくせに先輩である自分にタメ口で話した」ことが犯行の動機らしい。犯人は、はじめ自分の学年年齢を明かさず後輩達と交わってフラットに話していたが、途中から「自分は先輩だ」と言い出し、後輩達が口のききかたを改めなかったために、深甚な恨みを抱いたのだとか。

 先輩はエライ。先輩がどんな人でも、後輩は先輩をたてなければならない、なんていう文化は、かなりの程度に日本特有のものではないかと思う。先輩というのは、あるコミュニティに時間的に以前から、長くいる人のことであるから、王侯貴族がエライ、お代官様がエライ、社長がエライ、党官僚がエライ等というのとはちょっと違うような気がする。

 戦前の帝国陸軍には「星の数より飯の数」ということわざがあって、古兵殿とかいう、長い期間軍隊の飯を食べてきた兵員は、制度上の分隊長、小隊長よりも隠然たる力を持っていた。帝国海軍では軍令承行令という規則が公式にあって、全海軍の兵科士官の序列が一律に決まっていた。軍令承行令は戦闘中の軍艦で艦長などが戦死した際に、次に指揮権を受け継ぐ者の順序を予め決めておくものであったが、この序列は、任官順、つまり先輩が後輩よりエライように出来ていた。(任官順が同じ時は兵学校の成績順)。これは実際に戦争が起きてみるとかなり不都合なもので、とくにハワイ攻撃の不徹底やミッドウェーの敗北で評価の低い南雲忠一提督が、なぜ帝国海軍虎の子の機動艦隊(第一航空艦隊)を率い、航空戦に識見が深く空母機動部隊生みの親であった小沢治三郎提督がなぜ水上部隊(南遣艦隊)の指揮官に回ったのかというような、戦争の帰趨を決めるような将官人事についても、「先輩が後輩よりエライ」原理が適用されてしまった。因みに米国の軍隊の人事は、もっと柔軟で、第一次世界大戦中、米陸軍の佐官級の若手の秀才ダグラス・マッカーサーが、あっという間に代将、少将と「戦時中だけの」将官に抜擢されたことはよく知られている。

 ついでに言えば、ある組織の中で先輩でも後輩でもない「同期」という存在は、組織の構成員がストレスを感じないで済む希少で大切な仲間であり、多少の出世の度合いが違っても一生「タメ口」で語り合う「同期の桜」となるのである。

 こうした日本の先輩後輩秩序はなぜ生じたのか。いくつか理由はあろうが、先ずは儒教による「長幼の序」の影響。兄弟に才能の優劣があっても、先に生まれてきた方が必ず家を継ぐというルール(承行令)によって、家督相続争いを避けようとした。農民の世界では、日々の農耕には才能の優劣はあまり影響しないので、年齢秩序が優先された。いまは後輩である若者も、いずれ年をとれば先輩になれるので、「先輩が後輩よりエライ」ムラ秩序は、理不尽なようで、意外と公平と言えないこともなかった。江戸時代の職人や商人の世界でも、駆け出し初めの十年くらいは先輩の言うことをご無理ごもっともと耐えて聞くことが「修行」であり、才能の発揮はあくまでも年季が明けた後のことであった。こうして見ると、先輩後輩秩序とは、労働市場に流動性がない社会を円滑に運営するための知恵であったことが分かる。日本の労働市場が、流動化の時代を迎えようとしている現代には、働き方改革と共に「先輩が後輩よりエライ」という秩序も見直すべきではないだろうか。