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  2014年8月
   

滑川の炬火、佐野の雪

     

 
   

 鎌倉武士のお話しを二題。

 青砥左衛門尉藤綱は、第五代執権北条時頼(在職1246-1256年)の時代に、引付奉行人(裁判官)をしていた人。東京都葛飾区の京成線青砥駅付近と横浜市金沢区富岡のバス停「青砥」の辺りに屋敷があったと言われるが、定かではない。公正な裁判官としての逸話を多く残しているが、ここでは、経済に関するお話しをとりあげる。

 ある日、青砥藤綱が鎌倉滑川の橋を通りかかった際、懐中から誤って十文の銭を落とした。

 彼は、家臣に五十文の銭を与えて松明を買ってこさせ、その炬火の明かりで無事十文を滑川の底から拾うことが出来た。

 さる人が「十文の銭を拾うために五十文の松明を買ったのでは、差し引き四十文の損ではないか」と問うと、藤綱は次の様に答えたという。「川に落ちた十文を拾わなければ、永遠に天下から十文が失われる。だが松明を買った五十文はそのまま天下に流通し、拾った十文も私が使えば流通するから、私にとっては四十文の損でも公には六十文の得である」

 つまり、お金は天下の回りもの。個々人の損得よりも、お金が天下に流通することが、経済にとって大切だということを、鎌倉時代の昔に見抜いていた人がいたというお話し。

 一方、上記の執権北条時頼は引退隠居後最明寺入道を名乗り、諸国を旅して民情を視察して歩いたという伝説がある。その伝説にもとづいて室町時代に創作された謡曲「鉢木」には、上野の国(栃木県)佐野の人、佐野源左衛門常世という武士が登場する。

 ある大雪の日、佐野の里の貧しげな民家を、旅の僧が訪れ、一夜の宿を請う。家はあまりに貧しく、旅の僧をもてなすことが出来ないため、家の主は、大切にしていた桜、梅、松の鉢植えの木を囲炉裏にくべて僧に暖をとらせる。家の主は佐野源左衛門常世と言い、親族の者に土地を押領されて貧乏に追い込まれている。が、旅の僧には、「かやうに落ちぶれては侯へども、今にてもあれ鎌倉におん大事出で来るならば、千切れたりともこの具足取つて投げ掛け、錆びたりとも薙刀を持ち、痩せたりともあの馬に乗り、一番に弛せ参じ着到に付き・・」と武士の志は捨てずにいることを語る。

 僧は、感謝と共に「もし鎌倉に来られることがあれば、お力になれることも・・」と言いつつ宿を去る。やがて、鎌倉に大変が起き、佐野源左衛門常世が、志の通り鎌倉に駆けつけてみると、なんとあの時の旅の僧が前執権北条時頼であって、常世の志を賞で、「あの時の鉢木の御礼」にと、加賀国梅田荘、越中国桜井荘、上野国松井田荘を所領として与えてくれたと言うお話し。

 当時の武士は、一所懸命といって土地に命を賭ける存在。鉢木の物語のハッピーエンドが、梅、桜、松にちなんだ土地の恩賞というのが、いかにも鎌倉武士の話らしい。

 鎌倉時代の北条執権と言えば、元寇の時の執権北条時宗くらいしか知っている人は少ないかもしれない。が、時頼は時宗の父親にあたる人で、江戸幕府で言えば徳川吉宗のような「中興の祖」的な存在と言って良い。鎌倉時代の名奉行青砥藤綱は、江戸時代で言えば大岡越前守のような人。謡曲「鉢木」も、お話しには違いないが、諸国廻遊伝説という意味で言えば、水戸黄門の鎌倉幕府版と思えばよいのではないか。

 
     
 

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