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今月の言葉

2018年11月1日

男子の名前

 佐々木、鐙踏んばり立ち上がり、大音声をあげて名のりけるは、宇多天皇より九代の後胤、佐々木三郎秀義が四男、佐々木四郎高綱、宇治川の先陣ぞや。(平家物語「宇治川先陣」)以前本欄でも取り上げた、佐々木、梶原の「宇治川先陣」の場面である。

 さて、今月のお話は、日本人の(主に男性の、武士階級の人の)名前についてである。
 武士の家に、男子が生まれると、先ず幼名が付けられる。この幼名は、たとえば徳川氏であれば、竹千代といった、先祖代々の長男の幼名というものがあって、父、祖父のものと同じである場合も多い。が、二男や三男の場合、必ずしも我が家由来でない幼名を持つ子も多かった。その場合は、なんとか丸、なに松、なに太郎、なに次郎、等々よくありそうな名前を付けられる。だが、その子が無事に育って、15歳くらいになると、元服式を行って、大人の名前を持つようになる。武士の大人の名前には二種類あって、冒頭の佐々木の場合で言えば、四郎が呼び名あるいは字(あざな)、高綱の方が諱(いみな)という。

 諱は本名であって、だいたい漢字二文字。必ずそうというわけではないが、一字はその家に由来する文字、もう一文字は元服時の烏帽子親に由来する字を用いることが多い。徳川家康の場合、一生の間で自分の名前を松平次郎三郎元信、松平元康、徳川家康と三回変えているが、最初の元信は、烏帽子親の今川義元から一字貰ったのだが、「信」の方は、松平家由来ではないので本人は気に入らなかったらしい。そこで今川傘下で戦に手柄を立てたときに、今川義元の許しを得て元康に変えて貰った。「康」は彼の祖父松平清康に由来する。後に家康に変えたのは、今川から、織田に寝返ったときに義元由来の「元」を消してしまいたかったからである。

さて、上記の諱は、忌み名ともいって周囲の人が「高綱さん」なんて気安く呼んではいけないものであった。上古の日本(他のアジア圏の国もそうだが)では、本名を他人や魔物に知られると、その者によって自分が支配されコントロールされてしまうという迷信があり、日常生活では諱をなるべく隠すようにして、呼び名、あるいは官名などを代わりに用いた。「四郎さん」「一太郎さん」なんていうのはその家の何番目の息子かをあらわす番号のようなものだし、「土佐守どの」「民部少輔どの」なんていうのは、現代で言えば、「○○支店長殿」「総務部長殿」みたいなものだ。ちなみに、諱を呼んで良いのは、上司、天皇などそもそもその人を支配している人である。昔は、こういう上の人は下々を「太郎さん」「次郎さん」などとは呼ばず、諱漢字二文字を呼び捨てにした。呼ばれる方も、自分のことを「高綱は・・」というように諱で自称した。

 現代。戸籍上姓名の別はあるが、名の方は、諱系のいかめしい名前と、呼び名系の平易な名前が、混在している。時代と共に呼び名系が増えている様な気もする。我が家の場合、筆者の名前は諱系、息子達は我が家に五百年続く私と同じ字を一字使っているが、名前としては二字熟語、音読み呼び名系である。