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今月の言葉

2018年5月1日

宝くじ

以前の本欄で、麻雀の役作りにこだわる話を書いたことがある。

 麻雀を、競技、博打と考える人にとっては、ゲームに「勝つ」ことがゴールである。勝つためには、こつこつと一局ごとに、他者よりも早く、ほどほどの値の役で上がり、逃げ切るのが常道なのだ。が、勝つことより、「美しい役で上がる」ことに魅せられて、リスクを冒し、大三元とか国士無双とかいう、高値の役作りに挑むことを以て良しとする人がいる。それは人類のDNAの中に潜在する「自己目的化」という因子の為せる業であるということを書いた。

 自己目的化とは、どんなことかというと、たとえば、生命維持のための「食う」という行為が自己目的化すると、味にこだわる「グルメ」というものになり、最後は食器や佇まいなどという栄養摂取とは何の関係もないものにまで気を配り「食の文化」を求めるようになる。あるいは、「種の保存」のためにあるはずのセックスが自己目的化すると、恋愛を通じて異性を恋うようになり、さらに嵩じると、それがプラトニックラブとか同性愛であるとか「種の保存」に結びつかない「愛」というものに昇華し、さらには相聞歌、指輪の贈答といった「恋愛文化」の創造に至るのである。

 さて、今月は宝くじのお話である。宝くじを、賭博の一種と考えると、こんなに割に合わない博打は世の中に少ない。競馬、競輪、オートレース、競艇などの公営賭博は、おしなべて約75%の還元率(運営者の寺銭部分が25%)であるのに対して、宝くじなど「くじ」の還元率は、だいたい5割弱くらいである。この、割に合わないものが何故売れるかというと、宝くじは、他の公営賭博に比較して、一時に得られる配当金の額が、著しく高いのである。たとえば競馬で万馬券が出たと言えば、相当珍しい出来事だが、万馬券は100円馬券の100倍に過ぎない。ジャンボ宝くじは、前後賞を置いても、300円のくじで5億円だから約166万倍である。「一攫百万金を得たら、何をしようか」と「夢を見る」そのプロセスに1枚300円を投じるのは、けっして高価とは言えない。ただし、当たる確率は競馬などより著しく低い。

 つまりは、宝くじは、それで配当金を得るのではなく、「配当金を得たら」という夢を見る人が買うのである。宝くじを買う人は、当籤しなくても、くじを買った瞬間から当たり番号の発表までの間に、「当たったらこうしよう、あれを買おう」と想像を楽しむことで、元を取っていると言えるわけである。

 公営賭博に淫する人は、レースの瞬間の興奮のために馬券や車券を買うわけだが、宝くじの楽しみはもっと高踏的なものなのである。これこそ人類的DNA自己目的化の病と言わずしてなんであろう。宝くじを買う人は、人類の中でも動物に近い人ではなく、より「文化的な」人類なのだとは言えないだろうか。

参考までに

http://oncasinojapan.info/theory/kitaichi_japan.htmlより