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今月の言葉

2017年9月1日

リットン報告書

 今から86年前の9月18日、当時の満州(現在の中国東北地方)奉天(現在の瀋陽市)城外の柳条湖という所で、日本の管理下にある南満州鉄道の路線が爆破された。後に判明することだが、この爆破事件は、当時の日本陸軍の関東軍が仕組んだ謀略であった。爆破事件を、満州を支配していた張学良政権(当時中華民国国民政府に帰属していた)の仕業と断定した関東軍は、張学良軍を攻撃、瞬くうちに奉天以下の満州主要部を占領、張学良軍を満州から駆逐して、翌年3月1日には満州建国を宣言、中華民国から同地を分離独立させ、旧清朝の最後の皇帝であった溥儀を執政(後に皇帝)に擁立して、事実上日本の傀儡政権とした。

 これは、外見的に見ても明白な日本の侵略行為であり、当時の国際連盟を主軸とする第一次世界大戦後の平和秩序に反する行為であった。満州を奪われた中華民国は当然国際連盟に、日本の不法を提訴し、ここに国際連盟の調査委員会が、英、米、仏、伊、独などによって構成される調査団(団長の英国人リットン伯爵の名を冠して「リットン調査団」と呼ばれている)を現地に派遣した。  

 リットン報告書は、この調査団が1932年10月2日に公表した、調査報告書である。その内容は、現代の視点から見ればかなりの程度に日本側に同情的なものであり、結論も、要約して言えば、「満州における中国の主権は認めるが、日本の特殊権益も認める」という、日本にとっては「名を捨てて実をとる」ことを要求するものであった。しかし、満州を占領してその地に居座り、すでに名目上とはいえ独立国家建設を始めていた日本の軍部は、この報告の内容を峻拒し、結局日本はリットン報告書の内容に基づいて中国の満州統治権を承認した国際連盟総会決議を拒否する形で、同年3月27日国際連盟を脱退した。

 その後日本が国際社会で孤立を深め、敗戦への道をたどっていったことは周知のとおりである。

 さて、話は変わるが、南シナ海における群礁に人工島を建設している中華人民共和国に対してフィリッピンが提訴した件について、2016年(去年)7月12日(国際)常設仲裁裁判所が下した判決と、その後の中国の対応を見て、筆者が思い出したのは、上記のリットン報告書である。

 中国は、1899年の国際法に関するハーグ平和会議で設立された、権威ある国際仲裁機関の判決を頭から無視し、国際法秩序とは別の論理を立てて、南シナ海における中国の主権を主張している。中国国内で軍部と人民がこぞって国際法秩序に背を向ける自国の政策を支持し、政府の尻をたたいている構図も、満州事変当時の日本国内の世相とよく似ている。

 戦争前の日本、現在の中国に共通しているのは、米欧など近代国民国家の先進諸国が主導する国際的な法秩序を無視している点にある。なぜならば、これら先進諸国は、近代の前半(19世紀末頃まで)において、みんな帝国主義的な侵略国であり、東アジアの後進諸国の主権を脅かしてきた存在だからである。彼らの過去を既成事実として認め、後進諸国がかつての先進諸国と同じことをしようとすれば国際平和の名の下に規制しようとする。それはフェアではないという思いがあるのだろう。だが、残念ながら、百年前、二百年前に許された行為は、今日の正義ではない。今日の国際平和のための法秩序は、二十世紀の戦争で流された無数の人々の血の上に成り立っているのである。フェアではなくても、従うしかないのではないか。