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今月の言葉

2020年7月1日

幽霊波動説

 夏なので、というわけでもないが、幽霊の話を一つ。

 この稿の筆者は、その昔20年ほど鎌倉に住んでいた。海岸まで歩いてすぐの海辺の小高い丘の上に我が家はあった。その丘は、新田義貞の軍勢が北条政権攻略をめざして鎌倉へなだれ込んだときに本陣を置いたとか言うところで、丘の後ろ側半分は、新田義貞が建立したという浄土宗のK寺と墓であった。我が家は、丘の南側半分、頂上の古びた日本家屋とわずかな庭のほかは、鬱蒼とした松林がそのほとんどを占めていた。この敷地も江戸時代には寺であったという。こちらは、日蓮大聖人がその前の浜からどこかへ船出されたという言い伝えがあり、それを記念して日蓮宗のM寺がこの地に建立され、寺は明治期までここに存在した。その後どういう理由かは知らないが、M寺は海岸からすこし北に行った横須賀線の踏切近くに移転し、移転した跡を筆者の曾祖父がM寺から借りて、海釣りに出るための別荘をそこに建てたという次第である。

 ともあれ、ちょっと薄気味の悪い気配が漂う、古い日本家屋に筆者が移り住んだのは、学生時代最末期の頃で、筆者はすぐに就職して名古屋に転勤したのだが、その後も東京本社の宣伝マン時代、札幌勤務の間を通じて、筆者の本拠はずっとこの家で、住民税も鎌倉市に払っていた。

 さて、筆者は常の人間であるから、そこはかとなく、薄気味の悪い気配を感じたりはしたものの、さほど目の前に幽霊が出現すると言うこともなく、気配の方も筆者がなにも(幽霊退治のごとき)悪さをしないことに安心したのか、お互い知らぬふりをしながら屋敷内で共存することは出来た。だが、この世には、そうした気配に超敏感な巫女体質の女性がいるもので、筆者の友人では二名、一人は取引先の美術商のお嬢さんと、もう一人は筆者の仲間の女優さんが、いずれも我が家に来られたときに、ある部屋の前で立ちすくんでしまい、「いるわ」と言って中に入れないということが起きた。

 後に、その古い家屋を解体して親戚がマンションを開発しようという話になり、その計画が進む中で、気配はますます濃厚になり、毎夜心配そうに筆者のことをのぞき込むようになった。仕方なく筆者は、「大丈夫。君たちの居場所もちゃんと確保するから」と、気配をなだめたものである。

 さて、これらを通じて、筆者はある仮説を立てた。その気配なりは、いわば念の波のようなモノではないか、と。発信元は当家の屋敷内で、そう遠くには飛ばない微弱な波である。が、発信元で寝起きしている筆者にはなんとなく感じることが出来るし、鋭敏な受信機をもつ巫女体質の女性たちは、たちどころに感じ取ってしまう。さらに言えば、幽霊が、恨む相手のところに立ち現れるというのは、もともと恨み恨まれる事件がかつてあったことを通じて、念の波長が完全に合ってしまったために、お互いだけの波長が共有され、この場合は、波の発信元から受信機側がかなり離れていても、「出て」しまうという訳なのであろう。よく、幽霊が坊さんのお経で成仏したりするのは、いわば波長と逆位相の波を宛て返すことによって、元の波がゼロ値になるからではないだろうか。

 筆者の屋敷のマンション開発計画は進み、工事中にはM寺移転の時に掘り残された古い人骨が何体か松の根に絡んで発掘されたりもした。筆者は彫刻家の友人にオブジェを彫ってもらい、マンションのエントランスホールに芸術品として据えた。「彼らの居場所」の意味もあるとは誰にも言っていないが、その後「出た」という話も、気配を感じる者も誰もいないことは確かだ。彫刻家氏は、慰霊、鎮魂の彫刻は得意だと言っていたから、きっと上手に逆位相の術を使ってくれたのだろう。