これから語るお話は、この稿の筆者の学生時代の経験を参考に創作したものであって、事実ではない。と、言うことにしておかないと、筆者のみならず、筆者の友人達までが、野暮な当局によって、六十余歳にして卒業取り消しの憂き目に遭いかねない。なので、あくまでも「おはなし」である。
時は1970年代初頭、所は京南大学横浜キャンパス(と、いえば東宝映画若大将シリーズをご存じの方は、どこの大学の符丁かお察しのはず~ちなみにライバル校は西北大学という符丁を持つ)。
京南大学には阿呆学部御世辞学科と称する、一学年約千人、ドイツ語7クラス、フランス語6クラスの巨大学科があり、別に入学試験の成績順に組分けたのでもないだろうが、中でも最末尾M組と言えば、勉強しない劣等生の吹きだまり。何故勉強しないかというと、その頃東京近郊の公立受験校や私立の名門校から、この阿呆学部御世辞学科に入学すると、語学や体育を除いては、学科は高校生時代にやった一般常識みたいなものの焼き直しばかり。文部省の指導要領通りに勉強してきた地方出の秀才にとっては、内容新鮮でも、都会組には阿呆らしくて授業に出る気がしない。いわば横浜キャンパスの二年間は、都会と地方の教育格差調整期間なのであった。
とは言え期末試験が近づくと、ろくに授業にも出ず、まして中身にも興味のわかない遊び人達もさすがに困ってしまい、七、八人の男女が頭を寄せ合ってどのように試験を乗り切ろうかと協議を始める。そこでみんなで一致団結、それぞれが出来る才能を集めて、活かす作戦を立てた。
まず、御世辞学科でも名高い、都内ミッションスクール出身の美女三人組が「ノート集め」を担当する。お昼の食堂などで「ねえ○○学のノートなんて持ってない?」と彼女たちが言うと、彼女たちにぞっこん惚れている他クラスの男子学生が、試験科目のノートを捧げるという仕掛けで、勉強の出来ない男子学生の中には隣の秀才のノートを借りてきて捧げ物にするやつもいる。さて、次のステップは「ノート定め」の儀。たくさん収集したものの中から、どれが役に立つかを定める儀式である。といっても元々劣等生が選ぶのだから、中身を評価するより、字が綺麗だとか、学科一千人の学生中でも超有名な秀才のノートとか、もっぱら外形で評価を与える。次はもっとも才能が薄い「親が金持ち」乃至「コピー師」が登場。当時相当高額だったゼロックスで、選ばれたノートをコピーする。
次にノートは「占い師」または「ヤマ師」と称される男の元に回される。この男は、自分が出ていない授業の試験でもヤマを当てることが出来るという不思議な才能があり、教授が妙に力を入れているとか、「○○学の定番はこれだ」式の推測と最後は勘でヤマを割り出すのである。せっかくノートを借りてきても、それを全部読むのでは、勉強の負荷が重すぎるので、この男が一晩ノートを眺めて、草木も眠る丑満つ時になると自然にヤマが浮き上がってくるとか言うご託宣を信じるのである。ヤマは三発中二発程度あたればよく、実際にその男のヤマの命中率は、その程度であった。
次に遊び人仲間内では一応「才女」と言うことになっているお嬢さんがヤマに合わせて回答を作る。(この人は教科書や参考書を調べて、回答案を作るので一応は勉強をしていることにはなる)
最後は「彫り師」乃至「鉛筆師」という肉体労働者が、その回答を試験会場の机に書き込むのだ。鮮明を尊んで、万年筆やボールペンで答案を書く愚か者もいるが、多くは証拠隠滅が容易な鉛筆で机に書き、答案用紙に写すと直ぐに消したものだ。京南大学の大教室には、代々の様々な科目の答案書き込みが遺っていて、この組織犯罪がある学年だけのものではないことを物語っている。