先月号に続き、歴史教育の話である。今月号では二つのことについて書きたい。
一つは、歴史における教訓主義と実証主義という問題。もう一つは、歴史の教師は、生徒にどれほど影響を及ぼすことが出来るか、という問題である。
一つ目は、「何のために歴史を学ぶ(教える)のか」という目的に帰着する。歴史を学び、その中から今日私たちが生きるための教訓を汲むのが目的であるとする者を、教訓主義者と呼ぶ。それに対して、歴史の事実を詳しく調べ、歴史上の物事がなぜ起こったのかを究めることを目的とするのを、実証主義者と呼ぶ。教訓主義者は、往々にして英雄譚を好む。英雄の身辺の区々たる細事よりも、英雄自身の感動的な振る舞いに目を向け、英雄譚の伝承を通じて、今日の我々が学ぶべきことを問う。たとえば、虐げられた民族の中に、屈せずに支配者に抵抗した英雄がいたとすると、その英雄譚は、今日の支配者への抵抗のよすがとなる。仮にその英雄の私行にいささか問題があったとしても、そういう区々たる問題には目をつぶってしまう。大切なのは、英雄が支配者に立ち向かったという事実だけであり、英雄譚にケチをつけるような研究は、否定されてしまう。一方の実証主義者は、まず現在分かっている限りの事実を掘り出して、それを眼前に並べてみてから考える。この世に残されている歴史の証拠物件、すなわち一次資料の中には相矛盾するものもあるから、「どちらの事実が正しいか」も考える。その際に「どちらがあるべき事実か」などとは問わない。教訓になろうがなるまいが事実は事実である。判定の基準は、一次資料の時系列に矛盾がないかと言った論理的分析であったり、時には、自然科学的手法を用いた紙や筆跡の真贋判定であったりもする。そして、実証主義者の得るべき結論は、「その事実から何を学ぶか」ではなく、「なぜ物事はそのように起こったか」「もし過去にしかじかの物事が○○の理由で起こったのなら、同じ理由で今日の物事はしかじかとなるのではないか」といった分析と予測である。
歴史は英語ではhistoryと言い、story(物語)と同語源である。仏語では歴史も物語もどちらもlhistoireである。だが、歴史を「ものがたり」と考えるのは教訓主義者であって、歴史をscienceと考えるのが実証主義者なのである。
さて、二つ目の話は、我が国の第二次世界大戦後の教育史を彩る文部省対日教組の戦いについて述べることから始めたい。この稿の筆者は、この争いに費やされたエネルギーほど不毛なものはなかったと思っている。日教組は、文部省による歴史教育支配が、戦前の皇国史観への復古を招き、教え子達を再び戦場に送ることにつながると信じた。一方の文部省は、日教組の教育現場支配が、アカ教師によるアカ生徒の育成を企図していると信じ、日本全体が左傾化することを恐れた。だが結果としては、教師が何を教えようが、生徒はさほど右翼にも左翼にもならなかったのである。それはなぜか。この稿の筆者は、それは日教組対文部省の争いが、左右どちらも教訓主義者同士の争いであって、歴史というものを冷徹に見て、実証によって物事が生起する理由を問おうとするものではなかったからだと思うのである。第二次世界大戦後の世界は、情報にあふれ、生徒は教師以外の情報源からも、無数の「物語」を入手することが出来るようになった。学校教育が生徒を戦場に動員したり、社会を左傾化したりする力は、もはや失われていたのだと知るべきである。学校で教えるべきは、歴史に対して実証的にアプローチする態度ではなかったのだろうか。