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TOP今月の言葉恋愛ホース論 2024年08月

今月の言葉

2024年8月30日

恋愛ホース論

 昨月号の本欄では、世界の国々が経済発展を遂げて、いわゆる成熟社会になるにつれて、人民は次第に自由主義、民主主義を求めるようになり、今日先進諸国がよく言う「共通の価値観」を分かち合うようになる(と、信じたい)という話を書いた。
 一方で、成熟社会なるものには、これまでの人類社会の爆発的とも言える成長とは異なる、あらたな特徴が生じていることも見逃すわけにはいかない。
 まず「衣食足りて礼節を知る」ではないが、成熟社会においては、地球の他の国々に比較して概ね食糧は満ち足りていて、医療技術も進んでいるので、簡単に言えば、人が死ななくなる。人が死ななければ当然平均寿命は延びて、高齢化が進む。一方で、日々の糧を稼ぐためにではなく、男女が共に個人としてのやりがいや達成感のために仕事をするようになり、結果として避妊技術の進歩をベースに、結婚時期が他の社会よりおそくなり、且つ結婚しない者も増えてくる。さらに性的多様性への社会の理解も深まり、「男女が夫婦になって、社会の労働力を担う子供を産むことだけが価値」であるような社会から、価値観も多様化する。要すれば、社会の出生率が低下し、少子化が進む。以上が、成熟社会の少子高齢化と言われる現象のスケッチである。
 が、本稿で述べようとするのは、(おそらくこの少子高齢化現象とも無縁ではないのだろうが)もうすこし、社会の上部構造というか、文化や人々の心の持ちようについての話である。
 これは、この稿の筆者の世代が生きている間だけでもかなり変化してきたことなのだが、この頃の我が国では「炎のような恋愛」に身を灼く若者が明らかに減ったように感じるのである。時代をわれらの青春時代である昭和戦後期ではなく、もう少し昔の明治・大正期まで広げれば、大半の国民が親の決めた配偶者と、現在よりもかなり若年で結婚する習俗があった一方で、いわゆる「駆け落ち」や「不倫」(第二次世界大戦前の日本では、既婚女性の不倫は法律上の犯罪であった)をいとわず「炎のような恋愛」に身を託す者もまた多かったし、なによりもそうした「やっちまった」恋愛ではなく、単なる心の中で、自分の手の届かない異性を恋い焦がれる経験に至っては、おそらく数割の国民が共有していたのではないかとすら想像されるのである。翻って、今日の同棲合法、16歳以上の性交は己の判断で出来るという、たいへんけっこうな社会に生きている若者らが、どのような恋愛関係をもっているのかを考えると、「親の許しも得ずにつきあう」「一緒に住む」という環境自体は百年前の若者達が涎を流して羨ましがるであろうものが用意されているにもかかわらず、その心の持ちようは、必ずしも「炎に身を灼く」ものではないように思われる。
 それは何故か。理由は明白で、今日の恋愛には禁忌がないからである。恋というものは、禁じられるから燃えさかるのであって、何もかも許されるような「何でもあり」社会では、恋愛は、日常の飲食と同様なものに過ぎず、べつにその度に顔を赤くしたり、興奮したりするようなものではないのではないか。この稿の筆者は、上記の考えを「恋愛ホース論」と呼んでいる。すなわちホースを通過する水の量が一定である場合、ホースの口を締めて水が通過する経口の面積を小さくすれば、水は勢いよく遠くに飛ぶが、経口面積が広ければ、水はポタポタとホースの口からこぼれ落ちるのみである。よほど巨大な量の性欲の持ち主でもない限り、「何でもあり」社会の恋愛ホースで水を遠くに飛ばすのは難しい。かといって勿論、禁忌を復活せよというのではないのだが。