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TOP今月の言葉アメリカの大義 2025年03月

今月の言葉

2025年3月31日

アメリカの大義

 I pledge allegiance to the Flag of the United States of America, and to the Republic for which it stands, one Nation under God, indivisible, with liberty and justice for all.

私はアメリカ合衆国国旗と、それが象徴する、万民のための自由と正義を備えた、神の下の分割すべからざる一国家である共和国に、忠誠を誓います


 この稿の筆者が、客船氷川丸に乗ってアメリカ合衆国に渡ったのは、1959年の夏。小学校1年生の2学期が始まる頃であった。父はフルブライト奨学金のシニアスカラー(学生ではなく、日本人の若手の学者を米国に招聘する)で中西部の大学に赴任。私たち家族は父の後についての渡米で、大学の家族寮暮らし。筆者はと言えば、英語など一言も知らずに地元の公立の小学校に入学することになって、毎朝唱えさせられたのが、上記「合衆国旗への忠誠の誓い」であった。
 日本の公立学校とは違い、各教室の黒板の横には必ず星条旗が立っていて、子供達は朝その旗に正対して右手を胸に当て、先生の音頭の下「アイプレジョリージェンスムニャムニャア・・」という意味不明の呪文を称えるわけである。いくら小学校1年生だと言っても、筆者だってその儀式が、米国民が国家に忠誠を誓っているらしいことくらいはよくわかる。なので、自分は日本人だから、この呪文は称えなくてもよいのかと思っていたら、担任の先生から、「あんたもやるんだよ」と言われて、有無を言わさず儀式に加わることとなった。察するところ、担任の先生に悪意があったわけではなく、米国は移民の国で、各種の民族がさまざまな手続きや枠組みで合衆国の地にやってきているわけであるから、合衆国にやってきて、その地で生活している者は広い意味ではみんな合衆国民というわけで、国旗への忠誠を誓っても別に違和感はなかったのであろう。あるいは、当時は未だ第二次世界大戦が終わって十年と少ししか経っていない頃で、クラスの子供達みんなが戦勝国アメリカの国民である中で、筆者一人敗戦国日本の国民として肩身の狭い思いをさせてはかわいそうだという思いやりがあったのかもしれない。あるいは、アメリカ人には「何でもアメリカが一番」というややお節介がましい思い込みがあるので、敗戦国のアジア人種の子供にも、米国民らしき待遇を用意してあげるのが、彼らの善意の表れであると思ってしまうようなところがあったのかもしれない。
 ともあれ、この稿の筆者は、毎朝右手を胸に当て、日本人としてかすかな抵抗を感じながらも、星条旗に正対して「アイプレジョリージェンスムニャムニャア・・」と称えていたわけである。それと同時に、わずか十数年前の戦争でアメリカ合衆国(だけでなく、連合国側が)いかなる大義を持ってわれわれ枢軸側と闘い、そして勝利したかといったような理想も自然と会得し、身についていった。それは、言論や信仰の自由とともに、国家の制度に三権分立や民主主義という権力抑制装置(小学校低学年ではよくわからなかったが)を持ち、さらに「国際紛争において、力による現状変更をしない」という理想であったりもした。今日でも筆者は、上記のような大義は、たとえば日本が「大東亜共栄圏」とともに掲げたアジアの民の白色人種からの解放などというレイシズム的な理想に比較しても魅力のあるもの、そのために生命を賭すべきものであると思っている。
 最後に蛇足となるが、日本国憲法の前文を日本語で読むと(当然原作者は米国人なので)、憲法にふさわしくない悪文であるとする意見があるが、この稿の筆者はこれの英文を読んで、涙が出るほどの名文だと思っている。これも「アメリカの大義」をあらわす文章の一つだからなのだろうか。