お役立ち情報

COLUMN

TOP今月の言葉 2020年12月

今月の言葉

2020年12月1日

 絆(きずな、きづな)は、本来は、犬・馬・鷹などの家畜を、通りがかりの立木につないでおくための綱。しがらみ、呪縛、束縛の意味に使われていた。「ほだし」、「ほだす」ともいう。人と人との結びつき、支え合いや助け合いを指すようになったのは、比較的最近である。
(Wikipedia)

 上記の通り、人と人との結びつきは、時として、一方、または双方の人を束縛するものでもある。

 東日本大震災に際して、津波が襲った地域の多くは、東北沿岸の田舎の漁村であった。これらの地域では、もともと共同体の結束が固く、それだけに隣家との日常を津波が破壊してしまったことは、住民にとって大きな被害であった。山の上に設けられた被災者用のプレハブ住宅には、見ず知らずの隣人が入ってきて、新しい人間関係を一から作り直す必要があり、それは入居者にとってかなりのストレスであった。そしてせっかく新しい隣人とも仲良くなれた頃には、入居期限が来て、かさ上げされた元の土地に住宅を建てるか、どこか家族などの住む別の地方に引っ越すかの選択を求められ、つかの間の「絆」とも分かれなければならなかった。

 報道では、そうした被災者のストレスに「寄り添い」、被災者ができるだけ結束の固いコミュニティに、ふたたび属することが出来るように呼びかけ、そうした地域の絆の復活を全国民挙げて支援すべきことを訴える。「絆」は、被災から時がたった今でも、忘れてはならない大切なこととされている。

 この稿の筆者は、上記のことが、東北の、人の出入りの少ない寒村のことである限り、あえて異議を唱えようとは思わない。だが、それは都会に住む者の日常感覚からすれば、かなり違和感を持たざるを得ないことでもあるのだ。たとえば、筆者は60年余の人生で、隣人の家に靴を脱いで上がったことは一度もない。隣人とは、概ねゴミ収集日の朝とか、交通事故や火事が近くであった時などに偶然顔を合わせ、簡単な挨拶を交わす程度の存在である。隣家の家族構成だって、筆者は詳しく知らない。

 また、全国型企業の会社員になれば、突然の転勤で知らない地に住まなければならないのは、いわば約束事であり、会社から「君、来週から○○県の勤務だから・・」などと言われても、抵抗するすべはない。「人生至る所に青山あり」と自分に言い聞かせて、新しい勤務地に早く楽しみを見つけようと努力するしかない。世間でも、会社員の定期的な転勤をとくに非人道的なこととは言わない。転勤は、会社員であれば当然のことであり、運命(さだめ)と言ってもよい。

 では、会社員に絆はないのか。かつて日本の会社員には、地域の絆こそなかったが、終身雇用・年功序列制度に基づく「企業ムラ社会」的な絆は極めて強くあった。会社は終身雇用を守る代わりに社員を彼方此方に転勤させ、能力があっても一定の年季を経なければ登用しない人事制度をつくることで、社員全般の不満を分散し、「絆」の強化を図ったのである。

 今日、田舎が過疎化し、限界集落が増えることにより地域の絆は弱まり、終身雇用・年功序列制の崩壊によって、企業の社員間の絆も弱くなった。今世紀に入って、震災が来なくとも、身近な日常生活で、人間同士をつなぐ「絆」はこの国からどんどんと消えようとしている。だがそれは、社会の変化であっても、人間の自然に反することとまでは言えない。筆者はむしろ、個人原理に基づいて、見知らぬ人、多様な人々とつながることができるような、新しい「絆」の在り方を追求したい。