…iam pridem, ex quo suffragia nulli
uendimus, effudit curas; nam qui dabat olim
imperium, fasces, legiones, omnia, nunc se
continet atque duas tantum res anxius optat,
panem et circenses…
…我々民衆は、投票権を失って票の売買ができなくなって以来、
国政に対する関心を失って久しい。
かつては政治と軍事の全てにおいて権威の源泉だった民衆は、
今では一心不乱に、専ら二つのものだけを熱心に求めるようになっている―
すなわちパンと見世物を…(ユウェナリス『風刺詩集』第10篇77-81行)ⅰ
古代ローマの話である。但し、ローマ史を語るのが本稿の意図ではないので、いくつか要点だけを説明すると、「パンとサーカス」は、ローマの実質的な支配者である貴族(後には皇帝)が、ローマ市民権を有する平民(ローマ市内に住んで、恒産や生業を持たずに属州から入ってくる食糧を徒食している無産市民)を接待しなければならなかったという話である。
パンについて言えば、ローマ帝国を構成する穀倉地帯から流入してくる小麦粉などを、貴族の負担において市民に配った。これは社会福祉と言うよりは、文字通り支配階級の人民に対する「施し」乃至は「接待」であり、この配給食糧こそが、無産市民の徒食を可能にする原材料であった。
サーカスについて言えば、サーカスとは、戦車競技をするためのcircuit(サーキット)のことであり、貴族はサーキットのある円形競技場において、戦車競技を主催して人民をもてなした。戦車競技を知りたい方は、映画「ベンハー」を見られると良い。やがて、サーカスは狭義の戦車競技にとどまらず、円形競技場で行われる様々なスポーツイベント、たとえばライオン対人間の戦いだとか、後には人間対人間の武器を持った闘技(映画「スパルタクス」をご覧になると良い)などへとエスカレートしていった。観衆は、興奮の上に興奮を求め、恍惚として「殺せ、殺せ」と叫んだのだという。
さて、2021年に開催した東京オリンピック、パラリンピックについて、疾病疫病の最中、過半数の国民の開催中止の与論をものともせず、国家の要路に立つ者が、この世界規模のスポーツイベント開催に突き進んだ理由は、ギリシアに由来するオリンピックの理想の故ではなく、市民に「サーカス」を与えなければ、自らの支配が保てないという強迫観念によるものだと思わざるを得ない。ついでに言えば、当のオリンピックのための時代錯誤のインフラ整備や、巨額の財政支出を国債でまかなった経済運営も、いわば「民の金で民を買収する」営みに等しい。政府の営みによって、人民は後世の借金返済の義務を負わされるのであるが、「そんなことは知らない」。何故ならば、負担を負うのは子々孫々の世代であり、また要路者からは何の説明もないので、「きっとなんとかなるのだろう」。ローマが愚民政策によって滅びたのかどうかはよく分からないが、我々も「パンとサーカス」を続けていると、ろくなことにはならないような気がする。
ⅰ Wikipedia パンとサーカスより引用