1960年代の後半、この稿の筆者が高校生だった頃に、我が高校にちょっと変わった、世界史の若い先生がいた。その先生は、東大の大学院のたぶん博士課程くらいの院生だったのだと思う。専攻は東洋史で、中国の農民叛乱の研究をしていた。
で、私たちの教室に来ても、彼は中国の農民叛乱の話しかしないのである。中国の王朝は古今必ずと言ってよいほど農民叛乱で倒れているから、上は秦代末期の陳勝・呉広の乱から、下は清代末期の太平天国や義和団の乱まで、ちょっと詳しく語れば一年はすぐにたってしまう。 先生は涼しい顔で、学年末に「ちょっと中国を詳しくやり過ぎたから、あとは教科書を読んどいて」と言って、狭小な範囲の世界史の講義を閉じたのであった。
彼の講義自体は素晴らしいもので、私たちは中国各王朝の郷村管理のやり方から、専売制、結局何故農民は反乱を起こすのか迄すっかり詳しくなったが、一方で、インドのことも朝鮮のことも殆ど知らない高校生となった。
そして、受験がやってきた。筆者は、世界史が大好きで、得意でもあったので、国立も私立も社会科は世界史を選択することにした。と、言ってもこのままでは、世界史の受験をしようがない。別の事情があって、筆者は高校3年の6月まで学園祭だの何だのにかまけていたので、時間は7-8ヶ月しかない。そこでまず当時中央公論社から刊行されていた堀米庸三編「世界の歴史」全24巻というのを親に買って貰い、全巻読破することにした。これにも訳があって、机に向かって英語だの数学だのほかの受験勉強をしていると程なく飽きてくる。そこでテレビを見たり、漫画を読んだりしてしまうと勉強にならないので、ベッドの上にごろごろしながら、「世界の歴史」各巻を読むのである。これは楽しい営みであるから、勉強を放棄しないでうまい具合に実質休憩することが出来る。全24巻は、だいたい秋頃には読了したのだったと思う。幸い「世界の歴史」には、インドのことも朝鮮のことも書いてあったから、ムガール帝国や李氏朝鮮も頭に入った。最後に王様の名前や歴史上の各事件の起きた年などは、丸暗記するしかないので、1月になって入試が近くなってから、代々木ゼミナールの一日中一週間で全世界史をやる「武井の世界史」というのに通って無理矢理頭に詰め込んだ。(もちろん試験後すぐに暗記したことは忘れてしまったが)
そして、この稿の筆者は無事その世界史で、程々に点を取って、程々の私立大学になんとか潜り込むことができた。
この世の人々は、学校の授業を評価するときに、すぐに「それは受験に役立つか」を問おうとする。その基準で言えば、上記の中国の農民叛乱だけの授業など、受験には、何にも役立たない。だが、この稿の筆者は、「世界の歴史」全24巻がすいすいと頭に入ってきたのは、彼の東洋史の先生が、「歴史にアプローチする方法論」を中国の農民叛乱というサンプルを通じて教えてくれたからだと思っている。人知の範囲は無限であって、その全てを学校教育で教えることは出来ない。ならば、学校が教えるべきなのは、「知にアプローチする方法論」であって、大量の知識ではないのではないか。