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今月の言葉

2020年6月1日

老い

 ついしばらく前までは、日本社会のタテマエとしては、年寄りは尊敬され、労られるべき存在であった。年寄りは、経験と知恵によって地域社会に福利をもたらす存在であるし、過去の過酷な生存競争を生き抜いて残った、前世代の少数生存者として「長い間ご苦労様」と若年者から言われる存在でもあった。電車に年寄りが乗り込んでくれば、元気な若者はさっと席から立って、お年寄りに席を譲るのがマナーとされていた。日本の年金制度は、人口のマジョリティである中年、若年層が、数少ない高齢者を養う構造で設計されていたので、集めた年金はジャブジャブ余って、世の中には厚生年金の宿とか言うものがたくさん出来、あるいは、年金ファンドという巨大な投資資金の塊が、株式市場を左右することともなったのである。

 だが、周知のように平成時代三十年の間に、日本の人口構成は大きく変化した。年金をもらう人の数が、年金を払う人を大きく上回るようになったのである。いまや、年金を働きのない大学生からも取り立てて、一方で70歳代までは払わないで済まそうという計画が役所の内部で着々進んでいる。

 それと同時に、年寄りという者も、社会の中で実は「困った存在」である場合が、続々報告されるようになってきた。

 誰もが困った年寄りだと思うのは、高齢で自動車の運転をして、ブレーキとアクセルを踏み間違えて、歩行者の列に突っ込む年寄りである。田舎に住んでいる身寄りのない年寄りは、自動車の免許を返納しようとしても、病院や買い物に送迎してくれるサービスがないと、運転をやめることが出来ない。だが、老いは着実にやってきて、ある日車がものすごいスピードで暴走を始め、止めようと強くブレーキを踏むほどなぜかもっとスピードが上がってしまう仕儀となる。警察の取り調べでも「なぜか車が暴走した」と言い張る。認知症などではなく、正常な判断力がまだあるはずの年寄りも、何かの失敗をしたときに、頑固になる、かたくなになる。その意味では、往年の柔軟性は期待できない。

 この稿の筆者の前任者に当たるある役員は、取引先の役所の仕業について、日頃陰で私と愚痴をこぼし合う仲であった。ところが、ある日公式の席上で、突然当該官庁の役人がいる前で、しかも違う話題の議事中に突然「○○官庁はどうしようもない馬鹿役所だ」と言い出して、周囲を困惑させた。

 あるいは、この稿の筆者の二十年来通っている飲食店の主人は、老化が進み、毎度客のオーダーを取り違えるようになっても敢然店頭に立って接客を続けている。常連たちの間では、「長い親交に免じて間違いはおおめに見よう」とする派と、「喧嘩にならぬうちに当該店から静かに消えよう」とする派が対立している。これらの年寄りは、社会の中で働いているのが生きがいなので、周囲はできるだけ仕事をさせてあげたいのだが、仕事の場面でしてはならない失敗をすると、周囲は迷惑するし、それが大失敗であれば、やはりご引退いただきたいということになる。

 要すれば、人口構成の変化に助長されて、「世に出回る年寄り」という者の比率が増えて、世間の迷惑になり始めているのだ。年寄りを敬うなどときれい事を言って居られる情況ではもはやない。

 ひとつの解決策は、幼児における「キッザニア」のごとく、年寄り同士だけで構成する疑似お仕事世界をつくり、そこで、「昭和流儀のお仕事」を楽しんでもらうことだと、筆者は考える。そこでは、「多少の失敗や間違いはリセットできる」新しいルールが必要であろうけれども。