お役立ち情報
COLUMN
クラブATO会報誌でおなじみの読み物
「今月の言葉」が満を持してホームページに登場!
日本語の美しさや、漢字の奥深い意味に驚いたり、
その時々の時勢を分析していたりと、
中々興味深くお読み頂けることと思います。
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労働組合 その2
この稿の筆者が、労働組合の役員になったのは、就職して名古屋に赴任し、見習い期間が過ぎた直後のこと。はじめは、名古屋支店支部の会計委員とか言うのをやらされた。その頃の労働組合の役員なんてものは、新卒の独身社員が当番でお手伝いするような仕事と相場が決まっていて、大学時代その者が体育会と、学生運動のどちらの運動をやっていたかなんてことは問われなかった。
労働組合の活動で、最初に驚いたのは、翌年5月1日のメーデーに参加したときのこと。その日は、メーデー歌「晴れた五月」にふさわしい快晴の日で、名古屋の鶴舞公園には、ほとんどピクニック気分の労働者数万人が集い、壇上では地元の音楽団体の人が赤い鉢巻きを締めて、嬉しそうに労働歌合唱の指揮を大仰な身振りで六大学の応援団よろしく執っていた。それから全国組織の中部支部の役員や革新政党の議員なんかのつまらない挨拶があり、その後数万の労働者達はぞろぞろと市中にデモ隊となって繰り出し、鉢巻きや日よけの麦わら帽子などを被ってあまり気合いの入らないデモ行進を行って、やがて解散。解散地点近くの中華料理屋かなんかで、お疲れ様の生麦酒で乾杯して、さすがにその費用くらいは組合の経費で出すのだろうと思っていたところ、なんと、メーデー参加者には一日分の労賃相当の日当も出るというではないか。高校大学ともっと激しいデモには何度も行ったが、デモに行って金が貰えるとは、考えたこともなかったのでほんとうに驚いた。かねて、労働組合というのは、なぜ動員力があるのか不思議だったのだが、その謎が解けるとともに、なんだか不純な気がしたのを覚えている。
さて、筆者はその後一年で支部の書記長というものに出世した。それまでも代議員というものになって全国大会で(ホワイトカラーなのに)かなりブルーカラーよりの発言をしたりしたので、本部に気に入られて抜擢されたらしい。書記長の引継ぎの時に、大真面目で渡されたのが「暗号帳」というコードブックで、たとえばウヲタというコードは「午後8時から○○職場の指名ストに突入せよ」なんていう本部指令を意味していて、FAXはその頃まだ導入されたばかりだったから、いよいよストに突入するときは、主には電話で本部からの暗合指令を伝えたものらしい。(前任者は「もう10年くらい使っていないんだけどね」と言っていた)さて、その頃支部レベルでの大きな労働問題というのは、中高年のおばさん達に対する今で言うセクハラ気味の意地悪だった。上司が何かと屁理屈をこねてはおばさん達に有給休暇を取らせないのである。彼女達は勤続年数の割に、業務内容は採用時から変わらない補助事務で、会社としては、なんとか追い出して若い給料の安い女の子に差し替えたかったようだ。彼女たちを高給無能と指弾する者はベテランの男性組合員にもいて、はじめは彼女たちの側にも組合を頼ろうという気持ちが薄かった。そこで筆者が思いついたのが「スト権投票結果を会社に教えない」という反撃手段。詳しく解説すると、前号のとおり当時春闘は組合側がストを構えるだけで、実際には伝家の宝刀を抜かずに「暁の妥結」とやらをする時代であった。もちろん組合本部はスト権投票全体の結果を会社に通告するのだが、会社はそのほかに支部ごとの賛成率を毎年集計して労務担当者の業績評価に使っていたのである。これを組合支部に隠されてしまうと、意地悪の先頭に立っていた労務担当課長等は、「労使関係がうまく行っていない」とされて本社のお覚えが悪くなるのである。春闘のある日、筆者は応接室に監禁され、「お願い、頼むから教えて」と労務担当課長に哀願されて、ぶじ彼女達の有休取得を妨害しない約束を勝ち取ったのだった。
2022年1月1日
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労働組合 その1
この稿の筆者が高校生の頃までは、世間でストライキというものがよく行われて、特に交通機関のストライキなどは、(学校が休みになったりするので)強い関心事であった。ストライキとは何かというと、労働者が賃金の引き上げや労働条件の向上などを求めて、企業の業務を一斉に罷業し、止めてしまうことをいう。付随してロックアウト(労働者がピケットラインという封鎖線を張って、事業場の業務が出来ないように封鎖してしまう)という行為が行われる場合もある。第二次世界大戦後しばらくの間の日本では、ずいぶん荒れた労働争議もあって、企業側が、組合に所属しない労働者や外部の第三者などを動員し、ピケットライン突破を試みて暴力沙汰が起き、怪我人、場合によっては死人が出ることさえあった。労働争議の帰結も、大概は若干の労働条件改善の代償に、組合幹部は馘首されるという、なんだか昔の百姓一揆のようなものが多かった。
だが、高度成長期に入り、企業側も人手不足で、ある程度労働条件を良くしなければ労働力を確保できなくなってきた事情があり、労働側も、団結してストを構える(職場で投票して、組合の執行部にストライキの実行可否を委ねる。「スト権確立」とも言う)だけで、実際にストライキに訴えなくとも一定の労働条件を獲得できるようになったこともあり、ストライキというものは、次第に廃れていった。
以下は、筆者が就職して労働組合の中堅幹部になってから知ったことだが、組合がストライキを行うと、企業は当然妥結までの間の賃金を支払わないので、その分の労働者の生活を保障するために、組合は予め月々の給与の中から「闘争積立金」という貯金を用意しておく。ストライキ中はその積立金を取り崩して、支払われない賃金の代わりにするのだが、筆者が労働組合の会計を担当していた頃には、ストライキが殆ど行われないので、この闘争積立金の残高が巨額に膨れ上がり、預金獲得を狙って会社の取引銀行の社員が、組合に営業にやってくるような時代であった。
さて、労働組合には、クローズドショップ・ユニオンショップ・オープンショップの三種があるということを習ったのは、高校の政治経済の授業であった。クローズドショップ制とは、採用時に特定の労働組合に加入している労働者のみを雇用し、脱退などで組合員の資格を失った労働者を解雇する協定である。ユニオンショップ制とは、企業が労働者を雇用した後の一定期間内に、労働者は特定の労働組合に加入しなければならないとする協定のことをいう。そのため、労働者が組合員である資格を失ったりすれば、企業側はその労働者を解雇することになる(i)。いずれも労働者に有利だ。
だが実際には、日本の労働組合は上記のどちらでもない、労働者が組合に入っても入らなくても良い、またどの労働組合に入っても良い、比較的企業側に有利なオープンショップ制によって運営されていた。その中で筆者の所属していた飲料会社の労働組合は、当時の日本でも珍しいユニオンショップである「全国ビール」という組織の傘下にあった。日本で当時ユニオンショップ制をとっていたのは、上記の全国ビールと海員組合くらいであった。その理由は、戦後直ぐの頃には、ビール工場で重い瓶を運ぶ労働や、貨物船を運用する労働はかなりハードなものであったので、相対的に労働組合も強かったからだと思われる。だが、その後ビール工場ではパレットとフォークリフトが導入され、船舶も自動操船技術や電子機器が導入され、労働者の仕事は以前と比べ、かなり楽になった。故に今は全国ビールも(ii)海員組合も『穏やかな』組合となってしまったのではないだろうか。
(i)Weblio辞書 (ii)全国ビールは2006年に解散
2021年12月1日
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未来の学校 その2
未来の学校では、始業式の日に、学校が各学業科目のDVDをくれる。その中身は、1回55分ずつのコンテンツが、学習指導要領で決まっている授業時間数の約半分入っている。生徒はそれを学校が決めた時間割に沿って、毎日50分×3本見ることが推奨されている。DVDの中には体育、美術、音楽も少しだけあるが、実技は学校の授業の中でやることになっているので、掲載時間数はほかの科目より少ない。また、DVDコンテンツの中には一定回数ごとのテストをゲーム感覚で楽しめるようなものもある。生徒は、DVDを、自宅のテレビ、デスクトップパソコンなどで見ることを推奨されているが、そうした道具を持たない生徒や、自宅が勉強するのに適さない環境にある場合のために、一定数のブースが学校にあり、生徒はそのブースでDVDを再生することが出来る。もちろんDVDだけでなく、スマホやタブレット端末などを使って、ネットからコンテンツをダウンロードすることも可能だ。
さて、未来の学校では、生徒は午前・午後二部制で登校する。学習指導要領で決まっている授業時間数の残りの半分が、対面の授業時間だ。だが、対面の授業時間では、DVDの内容のおさらいなどはあまりしない。普通の授業時間は、基本的に「知性の涵養」のための時間なのだ。DVDで生徒が見たコンテンツを前提あるいは契機として、生徒が調べて発表したり、話し合ったりするのを、現場の教員がリードしながら授業を進める。野外観察、フィールドワーク、実験、体育、音楽、美術などの実技など、生徒が体や手を動かすコンテンツもたくさんある。
未来の学校では、宿題をあまり出さない。が、対面の授業の中では、時折レポートを書いたり、作品を創るなどの課題が出され、レポートなどはネットワークを通じて提出することも出来る。
しかし、現場の教員と生徒とのふれ合いは、授業時間にとどまらない。先生は、生徒が親以外で接するもっとも身近な大人であることが多く、先生は生徒が今持っている興味や悩みを聞き、適切な助言をするために、過去よりも多くの時間を費やさなければならない。そのために、動画が「知識の伝達」を肩代わりしてくれる分、カウンセリングやコンサルテーションの会話時間、言わば生徒とふれあい会話する時間を多くとることが求められる。一方、未来の学校では、生徒を学校の中に閉じ込めて、しつけ、遊び、健康の維持、社会性を身につけさせること、友達作りなどをすべて担ってきた過去の学校に比較すると、やや学業寄りのポジションにシフトする。生徒は学校の外でも、同世代の友人を作る。一つの大きな変化は、学校から部活動が全廃されたことだろう。スポーツ関係の部、音楽演劇などのクラブなどは、存在するが、すべて学校管理ではなく、地域のNPO法人が運営している。指導者は教員ではなく、地域のNPO法人に所属する元スポーツ選手や、元教員であったりする。スポーツの練習場などは、いくつかの学校のグラウンドをNPO法人が借りて、A校はサッカー、B校は野球などと配分し、生徒は放課後隣の学校に練習しに行くこともままある。その反面、従来選手が少なくて学校になかったスポーツ部(たとえばゴルフ部や弓道部、空手部)、文科系の珍しい部(たとえば天文部とかジャズバンドとかミュージカル部、囲碁部、将棋部)なども地域全体でNPO法人が、生徒達の多様な興味に合わせて提供してくれる。こうなったのは少子化が契機だが、定年後元気な人々に地域サークルの指導者として活躍の場を与えるという理由でもある。
さて、あなたが生徒だったら、そんな未来の学校へ行ってみたいですか?
2021年11月1日
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未来の学校 その1
かねて、疑問に思っていることがある。それは、全国に存在する(2019年度、小、中、高校で約90万人)教員というものは何をするためにいるのだろう、という疑問である。今月はその疑問を少し深く掘り下げてみたい。
まず、学業の教育には「知識の伝達」と、「知性の涵養」という二つの側面がある。知識の伝達については、伝達すべき知識の内容は、文部科学省の学習指導要領というもので大概決まっていて、その知識の量がめっぽう多いので、現場の先生はそれを生徒に教え込むことに追われて、もう一方の知性の涵養にまでは、なかなか手が回らないことが多い。さらに知識の伝達は、試験というものによって、測定することが出来る。教えるべき知識の内容がほんとうに届いているかは、比較的容易に数値化することが出来る。
一方、一つの教室に約40人の生徒がいて、一人の先生が同じように教えても、試験をしてみると出来る者と出来ない者の差が出るのは、個々の生徒がもつ知性の差によって、知識の需要力が異なるからである。この知識の需要力なるものは、生徒個人の中に眠る生得の能力を、教師が引き出すものであって、外から与えられるものではない。この「引き出す」作業を英語ではeducationと言い、普通は「教育」の訳語となっている。知識の需要力の中には、教室で授業を聞いてそれを理解する力だけでなく、知識に対する好奇心と興味を持って、自ら調べ考える力、ある程度の意志と体力を持って学業に向かう力、自分の考えを深めそれを論証する力、違う意見を持つ他者と討議することを通じて真理にアプローチする力などが含まれる。
この稿の筆者は、学校や教師の主たる役目は、後者すなわち知性の涵養にあるのであって、知識の伝達にはないと思っている。その理由は、「人智に果てはない」からである。文部科学省がいくら精緻な指導要領を整備したところで、この世の知識をすべて18歳までに詰め込めることなど出来はしない。それに、知識は時間と共に拡張変動するので、学校を卒業してからも身につける努力を怠るわけにはいかない。たとえば、この稿の筆者の学生時代にはコンピュータなどというものは一部の研究者のものであったが、今日、パソコン・スマホなしに市民生活を送ることはよほど困難である。と、すれば、遷り行く時代に柔軟に対処し、つねに新しい知識を元に自分の考えを深めるためには知性の涵養こそが大切なのである。
さて、それでは未来の学校では、この二つをどのように整理して生徒達に向かったら良いか。それは、全国数十万人の現場の教師を「知識伝達」の作業から解放し、「知性涵養」に専念させることである。今日印刷物である「検定教科書」を動画に転換し、全国でもっとも面白く教えられる先生(落語家や講釈師、漫才師でも良い)の授業とか、科学映画やノンフィクション映画の粋みたいな動画を生徒に見せる(時にはゲーム仕様でインタラクティヴなものでも良い)ことを以て授業時間の半分くらいを使う。残りの半分の時間は、現場の先生が、動画と同じテーマをフォローアップしながら、テーマへの興味を喚起し、約20人程度の学級で、ゆっくり生徒と向き合い、時には生徒に発表させ、討議させ、実験や観察を行い、野外や町に出かけてホンモノに出会う機会を作り、エッセーを課したりするのである。つまり、「知識の伝達」は動画に任せて、現場の先生は人間でなければ出来ない教育というものに専念することを提言したい。
2021年10月1日
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組織犯罪
これから語るお話は、この稿の筆者の学生時代の経験を参考に創作したものであって、事実ではない。と、言うことにしておかないと、筆者のみならず、筆者の友人達までが、野暮な当局によって、六十余歳にして卒業取り消しの憂き目に遭いかねない。なので、あくまでも「おはなし」である。
時は1970年代初頭、所は京南大学横浜キャンパス(と、いえば東宝映画若大将シリーズをご存じの方は、どこの大学の符丁かお察しのはず~ちなみにライバル校は西北大学という符丁を持つ)。
京南大学には阿呆学部御世辞学科と称する、一学年約千人、ドイツ語7クラス、フランス語6クラスの巨大学科があり、別に入学試験の成績順に組分けたのでもないだろうが、中でも最末尾M組と言えば、勉強しない劣等生の吹きだまり。何故勉強しないかというと、その頃東京近郊の公立受験校や私立の名門校から、この阿呆学部御世辞学科に入学すると、語学や体育を除いては、学科は高校生時代にやった一般常識みたいなものの焼き直しばかり。文部省の指導要領通りに勉強してきた地方出の秀才にとっては、内容新鮮でも、都会組には阿呆らしくて授業に出る気がしない。いわば横浜キャンパスの二年間は、都会と地方の教育格差調整期間なのであった。
とは言え期末試験が近づくと、ろくに授業にも出ず、まして中身にも興味のわかない遊び人達もさすがに困ってしまい、七、八人の男女が頭を寄せ合ってどのように試験を乗り切ろうかと協議を始める。そこでみんなで一致団結、それぞれが出来る才能を集めて、活かす作戦を立てた。
まず、御世辞学科でも名高い、都内ミッションスクール出身の美女三人組が「ノート集め」を担当する。お昼の食堂などで「ねえ○○学のノートなんて持ってない?」と彼女たちが言うと、彼女たちにぞっこん惚れている他クラスの男子学生が、試験科目のノートを捧げるという仕掛けで、勉強の出来ない男子学生の中には隣の秀才のノートを借りてきて捧げ物にするやつもいる。さて、次のステップは「ノート定め」の儀。たくさん収集したものの中から、どれが役に立つかを定める儀式である。といっても元々劣等生が選ぶのだから、中身を評価するより、字が綺麗だとか、学科一千人の学生中でも超有名な秀才のノートとか、もっぱら外形で評価を与える。次はもっとも才能が薄い「親が金持ち」乃至「コピー師」が登場。当時相当高額だったゼロックスで、選ばれたノートをコピーする。
次にノートは「占い師」または「ヤマ師」と称される男の元に回される。この男は、自分が出ていない授業の試験でもヤマを当てることが出来るという不思議な才能があり、教授が妙に力を入れているとか、「○○学の定番はこれだ」式の推測と最後は勘でヤマを割り出すのである。せっかくノートを借りてきても、それを全部読むのでは、勉強の負荷が重すぎるので、この男が一晩ノートを眺めて、草木も眠る丑満つ時になると自然にヤマが浮き上がってくるとか言うご託宣を信じるのである。ヤマは三発中二発程度あたればよく、実際にその男のヤマの命中率は、その程度であった。
次に遊び人仲間内では一応「才女」と言うことになっているお嬢さんがヤマに合わせて回答を作る。(この人は教科書や参考書を調べて、回答案を作るので一応は勉強をしていることにはなる)
最後は「彫り師」乃至「鉛筆師」という肉体労働者が、その回答を試験会場の机に書き込むのだ。鮮明を尊んで、万年筆やボールペンで答案を書く愚か者もいるが、多くは証拠隠滅が容易な鉛筆で机に書き、答案用紙に写すと直ぐに消したものだ。京南大学の大教室には、代々の様々な科目の答案書き込みが遺っていて、この組織犯罪がある学年だけのものではないことを物語っている。
2021年9月1日
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いやぁな感じ
今を去る七十数年前のこと。我が国は、アメリカを相手に国家の存亡を賭した戦争の最中であった。
「この戦争に大義はあるか」、などと考えるインテリの数は少なく、大多数の国民は、「とにかくこの戦争に負けたら日本という国もなくなってしまう」という思いで、国家の戦争遂行に協力した。一方、軍部や指導者達も、「総力戦」というものを戦い抜くためには、民間市民の協力が不可欠であるのをよく知っていて、様々な情報操作によって、国民を動員する努力を怠らなかった。
たとえば、都会の市民生活においては、隣組というものが組織され、小さな世帯を四つ五つまとめて、食糧配給、防空演習等々の単位とした。それだけでなく、隣組は「上意下達、下意上通」の道具とされ、政府の情報伝達ばかりでなく市民同士の相互監視と密告による戦争非協力者のあぶり出しのメカニズムともなった。隣組の中には一人くらい必ず口うるさい者がいて、「洋服を着ないでモンペ姿をしろ」だとか「灯火管制中に窓から明かりが漏れている」だとか、ほんとうに戦争遂行上効果があるかどうかわからない、生活の区々たる細事にまで口を挟み、何事も「気をそろえ」市民生活の統一を図ろうとした。街頭には、愛国婦人会の怖いおばさん達が繰り出して、若い娘がパーマネントをかけていないか監視し、時によっては長髪にハサミを入れるなどという無法も働いた。
私たちは、戦後の自由な社会に育って、こうした日本社会に特有の、いやぁな感じというものを忘れ始めていた。が、新型コロナウィルスと人類との「総力戦」が始まると共に、密かにまた日本社会に、このいやぁな感じが忍び寄ってきているような気がするのである。
典型的な例が「マスク警察」と称するお節介な市民の登場である。日本人は、個人として公共心が強く、他者が何も言わずとも(マスクの着用によって自己の感染を防ぐのは困難であるのに、他者の感染防止とエチケットと世間への体裁のために)概ねマスクを着用しているというのに、あたかも愛国婦人会のごとく、マスク不着用者を見つけては説教をたれ、あまつさえ唾を吐きかける(感染防止上もっとも忌むべき行為)などの挙に出でる者が、マスク警察である。
さらに「パチンコ屋が休業しない」と言ってはサラシ者にし、キャバクラやホストクラブでの感染を「夜の街関連」と名付けて、休業補償もせずにあたかも店舗の存在自体が悪であるかのように非難する、要路の人々の所業も、前記のいやぁな感じのあらわれに思える。
小学校の授業にしてから、やっと再開したと思ったら、児童全員前を向いて着席し、ひたすらフェイスシールドをした先生の言うことを聞いて、内容を帳面に写す。給食となれば、隣の児童と口をきいてはならず、黙々と皿の食物を噛んで呑み下す。クラブ活動はなし、休み時間もトイレに行くだけ。トイレに行くのも密を避けて順番で、出したいときに出すものを出せない。そこまでしなければ感染防止の実が上がらないのかどうか、よく分からないのだが、まずは「気をそろえ」「緊張感を持続し」なければいけないという、これもなんだかいやぁな感じである。
最後に、日本ではなく、イギリスの第二次世界大戦中のこと。ドイツの空襲に耐えるロンドン市民に、「妊婦に限り」ギネスの特配があったのだそうだ。その列に腹の突き出たオッサンが平気で並び、配給を受けようとすると、役人がニヤリと笑って、「どうか健やかな赤ちゃんを」と言ってギネスをジョッキに注いだというお話。感染防止に否やはないが、もっとゆとりを持って柔軟な気持ちで、この非常な事態に対処したい。すべからく、我らも往事のロンドン市民に学びたいものである。
2021年8月1日
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糞 尿
糞尿の話、といってもこの稿の筆者はスカトロジスト(糞尿愛好者)ではないので、糞や尿そのものの話ではない。もっぱら近世、近代の社会がどのようにし尿処理を行ってきたかという話である。
まず、お役所言葉で、糞尿を社会が処理することを「し尿処理」と呼ぶ。し尿の「し」は昨今常用漢字から外されてしまい、ワープロでも出てこない字であるが、「屎」と書く。部首の「尸」は「しかばね」の意であるそうだから、人が米を食った後の屍が「屎」であり、水を飲んだ後の屍が「尿」とは、極めてわかりやすい。ちなみに、「屎」と同義の「糞」も部首が米偏になっている。米ノ異ナル者、転じて米の果てを掃除、始末するという意味でもあるそうだ。
さて、読者各位は、なんとなくこんな風に思っておられないだろうか。すなわち、近世、欧州の国々たとえばパリでは、人民がおまるに汲んだ糞尿を建物の上階から道路にぶちまけ、下を歩くものはそれを被らないように、気をつけて歩かなければならなかった。また王侯貴族の館ヴェルサイユ宮にも、ろくな客人用のトイレがなく、客人が携帯おまるに出した糞尿は、従者が外の庭園に捨てたので、くさくて仕方がなかったらしい。それに引き換え、同時代の江戸では、近郷の農家が舟で江戸へ寄せて、人家の糞尿を汲み取って、購入して帰り、田畑の肥料にするというリサイクル・システムが成り立っていた。つまりは、し尿処理に関しては、欧州より我が国の方が優れてエコであったという理解である。この理解は、大筋そんなに間違っていない。が、問題はその後の話である。
本稿は、パリの下水道について書くことが目的ではないので、概略だけを述べると、19世紀初頭ナポレオン一世の時代に始まり、1860年代(我が国の明治維新の頃)ナポレオン三世のパリ都市改造と並行して完成した下水道網の威力で、パリは漸く疾病からも守られた衛生的な都市に生まれ変わっていった。一方の、江戸・東京はどうだったのだろうか。
簡単に言えば、世界に冠たる江戸のエコ・システムは、明治、大正、昭和と時代が下るにつれて崩壊していった。最大の理由は、化学肥料という技術革新。それに人件費増による輸送コスト増加、都市部の人口増による糞尿の供給過多などが相まって、農民が人肥を買い取る仕組みが、算盤に合わなくなってしまったからである。1918(大正7)年には、農民が金を出して人肥を買うのではなく、市民が金を出して農民に糞尿を汲み取ってもらう仕組みが出来た。これは大きな転換点であった。その後、様々なし尿処理の技術が発明され、時代と共にいくつものし尿処理場が東京周辺に建設されたが、その基本は人家の便所から糞尿を汲み取り、し尿処理場に輸送して処理を行い、液体と固体とを分離し、固体の方からはなにがしかの窒素などの有用な物質を取り出すという方式であった。だが、東京は着々人口増加をみて世界一の大都会へと発展していったのに対して、し尿処理能力は、いつも不足していた。この結果、河川などへの不法投棄、役所による合法的な海洋投棄などにより、1937(昭和12)年頃には、東京湾沿岸は赤痢など多くの疾病の発生源となってしまった。だが、この間一貫してし尿を下水に流すという発想はなかった。なぜなら、日本の都市インフラは貧弱で、下水管が糞尿投棄に耐えず、また末端の処理能力もなかったからである。この問題を最終的に解決したのは、水洗便所の普及と浄化槽の導入であった。要約すれば、都市インフラに頼るのではなく、個々の家庭や事業主の負担において、衛生的な便所を設備し、あわせて、その地下で個別にし尿処理を行うことにしたのである。結局役所は何も出来なかったのだ。
2021年7月1日
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オンライン その2
前月に続き、オンライン○○についての、整理と論評である。
【オンラインファッション】 既製服をオンラインで注文するには、つねにサイズの不安がつきまとう。ブランドによって、S,M,Lのサイズ表示は微妙に違う。試着せずに自分にあったサイズを求めることにはリスクがある。そこで、この稿の筆者は、かなり以前、駅構内やショッピングセンターなどにある証明写真ボックスに似た「人間シルエット測定器」の広範な設置を提案したことがある。これは、箱の中に人間が入って服を脱ぎ、頭の頂から靴の先まで、洋服・靴のオリジナル作成に必要な寸法諸元をスキャンしてもらい、web上に登録する装置である。試着室での脱ぎ着程度の時間で登録は可能である。これさえあれば、webカタログで見たモデルの服装を、そのままAIが自分用のオートクチュ-ル(注文服)に仕立ててくれる。実際にはzozoが似た様なことをもう少し簡易にしたビジネスモデルで実施している。
【オンライン診療】 いまや感染症拡大防止と、医師の生命を守るためにオンライン診療は欠かせないシステムとなりつつある。これも平時には、「初診は対面で」とか、いろいろな制限が付加されていたのだが、今次の新型コロナ事変で漸く、より制限の少ない形で普及が始まることになった。
が、医師が的確な診断をオンラインで下すためには、患者の訴えを聞き、診察することと並行して、各種の検査が不可欠となる。新型コロナウィルス感染が蔓延して、はじめて検査者をリスクから守る安全な検査を、速やかに多数行うことも、問われるようになった。
今後は患者が自分でバイタルデータを測ることができる検査装置を開発し、そのデータをオンラインで医師に送信することが、オンライン診療を促進するためにも必要となるだろう。血圧、心拍数、体温などは割合簡単に、腕時計くらいの装置で、オンライン化できるだろう。だが、問題なのは血液検査であると思う。(既に糖尿病などでは、患者自身が血糖値を図るキットが普及している)
【オンライン選挙】 選挙のための投票も選挙運動も基本的には「人寄せ」によってこれまで行われてきた。その意味で、選挙のオンライン化が実現すれば、感染症対策上かなり有効であることは論を俟たない。まず選挙そのものについて言えば、マイナンバーカードを(強制的にでもよいから投票券の代わりに郵送するのでも)普及させ、選挙権の行使をマイナンバーと紐付けて行うことが急務である。マイナンバーと紐付いた電子的な投票であっても、「誰がどの候補者に投票したか」を分からなくするスクランブルの技術は既に開発されて、政府の作った電子投票のソフトは存在している。が、技術実証のための実験で失敗して現在お蔵入りになっているらしい。
次の重要なポイントは、在宅投票である。
高齢化が進む現在、また海外在住者も多数存在している現在、投票所や大使館に足を運ばなくて済む仕組みの開発は急務である。これも、マイナンバーカードとの連携によって、実現できる。が、投票する者を、家族や入居施設の管理者等が監視したり、強要したりしないことをどう担保するかが問題である。もう一方のポイントは、【オンライン選挙運動】のためのノウハウ開発である。候補者が自らの名前を連呼して、選挙区を走り回り、集会や街頭演説で人寄せをすることは、どのようにして避けられるか。ウェブサイトやSNSなどを用いた選挙運動の成功例をつくることが急務である。今年11月に予定される米国の大統領選挙あたりが、そのチャンスであろうと思われる。
2021年6月1日
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オンライン その1
新型コロナ感染症の蔓延で緊急事態宣言が発せられ、市民一同在宅待機、外出自粛となって、急速に普及し出したのがオンライン○○の類である。それらの中には、過去既に開発されて活用が始まっているものも多いが、この社会状況の中で、一気に使われ出したものも少なくない。以下多くのオンライン○○について、整理しながら述べたい。
【オンライン授業】 学校教育を映像で行うという意味では、50年以上前から、科学映画や教育テレビなどでコンテンツがつくられ、作り方も既に成熟している。また、今世紀に入ってからは、衛星放送によって地方の受験生に予備校の授業が配信される事例も増えてきた。つまり、誰かが相当な準備をして動画による授業を配信するということについては、日本社会のインフラは既に整っている。が、学校というところは、生身の先生が、生徒と対面で授業をすることを身上としているので、いきなり学校が休業になると、アカの他人の作ったコンテンツを生徒に見せるのではなく、先生が自分で行う授業をテレビ会議に近い方式でやりたいと言うことになる。
この種のテレビ授業のソフトも、ここ数年普及が始まっており、なかなかよく出来たものもあるのだが、如何せん平時には当の先生達が、そんなものを使う意欲があまりなく、白墨と黒板さえあれば、学生生徒は学校にやってくるものだと思っていたので、急に日本中の学校が休業しても、先生がソフトの使い方を知らず、十分な対応ができないというのが現状である。生徒の方もみんながパソコンを持っている訳ではないので、オンライン授業に対応できない者もいる。要すれば、先生達が教員免許を取るときに、オンライン授業のやり方の基礎を学び、且つ貧乏な生徒にもパソコンかタブレットを配る制度を設ければ、今後は何が起きてもオンライン教育は、可能となるだろう。もっとも平時に戻ったときに先生が再び安心してしまい、オンライン教育への意欲を失わなければの話だが。
【オンライン会議】 ビジネス用のテレビ会議から、帰省できない核家族が、おじいちゃんおばあちゃんのもとに【オンライン帰省】とかをするためから、とにかく他人とのコミュニケーションを、webを通じて行うインフラは、ハード、ソフトともかなり整っている。緊急事態宣言が発せられると、企業、ビジネスの世界では比較的スムースに在宅勤務、オンライン化が進み、某電気会社社長の言うにはかえって以前よりディシジョンメーキングが効率よく為されるようになったとか。但し二つこれでは解決しない問題がある。一つ目は、工場や建設現場、農漁業などで、人間が、情報ではなくモノを取り扱う世界。二つ目は、きわめてセキュリティの高い情報を扱い、会社のサーバーから自宅に情報を持ち出せない場合、あるいはテレビ会議を誰かに覗かれない工夫等が必要な場合である。
【オンライン飲み会】 これは、筆者も試みたことはあるが、世界各地の事業所の従業員が、酒を飲みつつ相互交流するとか、酒を飲みながら、オンライン会議をやるとか、特別の事情がない限りあまりうまくは行かない。飲み会運営は、参加者の酔い具合、つまみの頼み方等かなり微妙な技術が必要でありオンラインでは難しい。仮想世界で初音ミクかなんかと飲み会した方がまだましである。
【オンラインデート】を恋人同士でするというのも、そもそも究極の目的は「濃厚接触」にあるのだから、恋文や長電話程度の効果しかなく、隔靴掻痒、もどかしさを解消できない。一方で、家族間の場合、コミュニケーションの目的は「濃厚接触」にはなく、「お互いの無事」を確認することにある場合が多いので、既存のソフトウェアで十分事足りる。(以下次号に続く)
2021年5月1日
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政治の手ざわり
平時、つまり新型コロナウィルス感染症が蔓延する以前において、この稿の筆者は、政治の手ざわりについてこんな感想を持っていた。すなわち、都会の住民より、地方の住民の方がはるかに政治(家)を身近に感じる機会があるという感想である。
都会の住民にとっては政治をもっとも身近に感じるのは、ゴミの収集くらいで、そのほかは、税や年金の徴収すら(所得税も社会保険料もサラリーからの天引き、消費税も最近は内税表示)「見えない化」が図られており、道路、橋、水道などのインフラは自分が生まれるより前から「そこに在る」ものなので、なくならない限り恩恵を感じられない。なにより、一般庶民が政治家のところに陳情に行く機会はまずないといってよい。
とくに、縁がなさそうなのは、都道府県のレベルの自治体で、ほんとうは教育委員会とか水道局とか旅券事務所とかけっこうお世話になっているはずの部局が在るのだが、どれも皆国の出先機関のように見えてしまい、なにか大きな方向を決めているのは国の役所のように思えてしまう。では、国の政治はというと、議院内閣制といういわば間接民主主義で成り立っているから、選挙に投票したところで自分の意見が国の政治に反映されるという実感には乏しい。
一方、地方に住んでいると、地元の有力政治家が出世して総理になれば、東京の「桜を見る会」なんていう国家行事にも招いてくれる機会もあるだろうし、そうでなくとも、地元のナントカ会の集まりに顔を出せば、国、県、市町村各級議員の一人や二人は必ず来ていて、主催者の迷惑を顧みず、一言挨拶することになっている。道路や橋などのインフラは、まだ地方では若干は不足しており、我田引水を求めて早く自分の周囲のインフラを整備してもらうには、陳情で議員に面会することは不可欠である。そもそも、選挙自体が、地域のお祭り的な行事という意味では、きわめて身近である。市区町村議員なんていうのは、近所のオジサン、オバサン達の中から目立ちたがり屋がなるものだし、国政選挙ともなれば、その近所のオジサン、オバサン達が毎日いずれかの候補者の事務所に出入りし、目の色を変えて、勝ったの負けたのと騒ぎ立てる。さらに言えば、子供の就職、嫁、婿の世話など地元のセンセイの秘書を通じてちょっとした口利きのお願いをする場合もままあり、そういう場を通じて一般庶民といえども、政治のミニ利権に組み込まれてしまう機会は数多くある。
上記都会、地方を通じても、一番影の薄い、庶民から遠い存在は、都道府県庁と知事だろうと筆者は思っていた。とりわけ知事なんて者は、候補者の政策ではなく、支持する国政政党の推薦を受けた者か、そうでなければ、テレビに出演しているので顔をよく知っている、あるいは見た目が清新な感じがする人というような印象で選んできたような気もする。
ところが、このところ新型コロナウィルス感染症が、蔓延するに及んで、都道府県という役所と知事という存在は、一挙に身近なものになった。対策の陣頭に知事が立ち、しかも、すくなくとも総理とか国レベルの当事者よりは、かなり現場感覚のある発言、発信を私たちにしているのを見ると、政治の手ざわりが感じられるのである。そして知事達の中には筆者が政治的に支持している方もそうでない方も居られるが、おしなべて役人の書いた実感のない調整的な文言や空疎な修辞を述べる国の政治家よりは、手ざわりが良い。今更ながらに、知事の選び方をおろそかにしてはならないと思う。地域の指導者を私たちが直接選挙で選ぶというメカニズムを再評価したい。
2021年4月1日
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告 解 (続)
前号では、この稿の筆者がカトリックのキリスト教徒の家に生まれ、生まれて直ぐに幼児洗礼というものを受けさせられてクリスチャンになったこと。子供の頃からカトリック教会の「公教要理」という宗教教育を受けて、教会内での「初聖体拝領」とか「堅信の礼」などの通過儀礼もとびきり早く受けて、信者としての出世が早かったこと。だが、毎週自らの罪を教会で告白させられる「告解」という儀式が次第に心の負担になってきて、遂には教会を離れるようになったこと。などを述べた。
筆者にとって、「告解」の儀が心の負担になってきたのは、自らの犯した罪を告白させられるからではなく、筆者の記憶として毎週のように「罪」などを犯しているという自覚がまったくないのに、教会の御堂内に設置された告解ボックスの中で、神父さんに「犯したはずの」罪の告白を強要されたからである。神父さん曰く、人間たる者、一週間生きて罪を犯さないはずはなく、もしも何も罪を犯していないというならば、「それはあなたの傲慢である」というのである。そこで筆者は仕方なしに犯してもいない微罪をでっち上げて告白し、お茶を濁してきたのだが、よく考えてみれば、毎週そのような嘘をつくことの方が、よほど罪深いと思い直し、結局教会を離れたというのが、前号までの話の要約である。まあ、筆者としては、テレビドラマの時代劇でよくある話で、何も罪を犯した心当たりがないのに、奉行所の裏手で、心ない同心、与力に責め道具で拷問される町人といった気分である。
さて、この話にはさらに後日談がある。それは筆者が中学に入ってしばらく後のことであった。
帰宅してみると、我が家に客が来ていて、二十歳を少し過ぎたくらいの若い神学生が私を待っていたのである。その神学生が言うには、立派なキリスト教信者(筆者のこと)が、神の御許を去ろうとしているので、迎えに来たとのこと。しかもどうやら、神学校が何故その者を我が家に派遣したかというと、どうもそれ自体が彼に対する試験であって、彼は私を改心させ教会に戻すことが出来れば神父になれる、失敗すれば神父になれないということらしかった。つまり、私の改心に彼の神学校卒業がかかっていたらしいのである。
なので、彼は真剣に筆者を説得しようとした。だが、聞けば聞くほどその神学生の言うことは、さっぱり分からない。要するに、彼の言うには、私は神という者と、信者となる契約をしたのに、心が弱く迷いが生じて、神から離れようとしているというのである。たしかに神学生である彼は、そのときの私より少し年上の時に、自ら神の存在を信じて、「神との契約」である洗礼を受けたらしい。ところが、筆者がその契約を何時したかというと、生まれて七日目のことだという。それはなんでも私の両親が、万一私が夭折したときに洗礼を受けていないと天国に行けないという教えを真に受けて、保険に加入する気持ちで洗礼を受けさせたのであった。生後七日の赤子に、自分の意志などあるわけはないので、「神との契約」などと言われても、筆者にとっては郵便局の勧誘員に騙されたみたいにしか、思えない。ついでに言えば、「罪の告白」を強要して信者の子供に嘘をつかせる教会のやり口は、筆者としてはなんとも気にくわない。そのことに対しても、神学生の言うには、毎週自分の犯した罪を告白できないような者は、すでに悪魔の誘惑にとらわれているとのことで、もはや筆者と神学生の言い分は完全にすれ違い、筆者は、強い自覚を以てキリスト教徒をやめる決心をしたのであった。
それにしても、彼の神学生は、その後神父になれたのだろうか。
2021年3月1日
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告 解
特定宗教の儀式の是非を論じるのは本欄にはふさわしくないかもしれないが、以下はこの稿の筆者の実体験に基づくもので、なんら脚色せずに述べることをご容赦願いたい。
筆者の両親は、敬虔なカトリックのキリスト教信者であった。もう少し詳しく書くと、両親は敗戦後の日本で、人生の価値のよりどころを求め、自らの意志で洗礼を受けて信者となり、教会で知り合って結婚し、程なく筆者が誕生したのである。彼らは生まれたばかりの筆者にも、当然ながら幼児洗礼を施した(カトリックの教義によれば洗礼を受けないまま夭折すると、その子は天国に行けないのだそうだ)。その後も筆者が進学するごとに学校の連絡簿に、「家庭の教育方針」は「カトリック教義に基づき・・云々」とか書かれてあった。小学校の中頃からは家の近くの教会で毎週行われる「公教要理」とかいう一種の宗教教育の塾みたいなものに通わされた。なにせ、絵に描いたような敬虔な信者の家の子であるから、教会に通う子供達の中でも筆者はエリートで、初聖体拝領だとか、堅信の礼だとかもとびきり早くにクリアし、教会の期待する若きホープの一人であったのだ。
だが、そのような宗教教育が、本当には筆者の身についたものではなかったことが、やがて判明する。小学校も高学年に進むにつれて、筆者の心の中に、むくむくとカトリックの教えに対する疑問や反発が頭をもたげてきたのである。わけても困ったのが「告解」(今日のカトリック用語では「赦しの秘蹟」、一般の日本語では懺悔~これも仏教では「さんげ」、キリスト教では「ざんげ」というらしい)という名の奇妙な儀式である。 これは毎週一回、教会堂の中に設置された木製のボックスの中に入り込んで、己れが犯した「罪」を告白させられる、と、いう儀式なのである。ボックスの中は真ん中で仕切られていて、仕切り壁に小さな窓が付いている。仕切りの向こう側には神父さん(誰が入っているかわからないことになっているが、地域の教会の神父なんてものは一人か二人しか居ないから、誰かは直ぐに分かってしまう)が居て、筆者の「テストの悪い点を親に隠しました」とか「親の言いつけに背いて遅くまで起きていました」みたいな他愛のない「罪」の告白を聴いてくれることになっている。そしてだいたいはちょっと神父さんのお説教があった後で、「めでたし聖寵満ち充てるマリア」とか「天にまします我らが父よ」とかいう短いお祈りを、罪の程度に応じて量刑のごとく何回か唱えると、無事「神様はお赦しくださいました」ということになって、無罪放免という訳なのである。
しかし、翌週例えば「今週は何も罪を犯しませんでした」とか告白したりすると、「君はなんと傲慢なのか(人間だもの、罪を犯していないわけがない)」と、軽罪を犯したときの何倍も叱られてしまうのだ。しかし十歳くらいの子供がそうそう罪など犯すわけがないし、傲慢とか言われると、開き直って「では罪とは何か、例示せよ」と神父さんに議論をふっかけたくなる。そのときは、たしか向こうは「モーゼの十戒」かなにかを持ち出してきたのだと思うが、だいたい姦淫とか殺人とかいう罪は大人が犯すものであって、子供がそうそう犯すわけはないのだ。
そこで私は、しばらくはつじつま合わせに犯してもいない軽罪をでっち上げて告白してきたのだが、そのうち告解という制度がある故に嘘をつくという方がよほど罪深いと悟り、次第に教会そのものに行かなくなってしまった。「心の罪をうちあけて更けゆく夜の月すみぬ」(i)という歌の文句があるが、宗教で言う罪とは、刑法のように細かい定義があるわけではなく、いわば「心のやましさ」である。
告解、懺悔で神仏に赦しを乞い、心が安らぐのは大人になってからの話なのではないか。
(i) サトウハチロー作詞、古関裕而作曲、藤山一郎歌、「長崎の鐘」
2021年2月1日