お役立ち情報
COLUMN
クラブATO会報誌でおなじみの読み物
「今月の言葉」が満を持してホームページに登場!
日本語の美しさや、漢字の奥深い意味に驚いたり、
その時々の時勢を分析していたりと、
中々興味深くお読み頂けることと思います。
絞り込み:
-
未来の学校 その1
かねて、疑問に思っていることがある。それは、全国に存在する(2019年度、小、中、高校で約90万人)教員というものは何をするためにいるのだろう、という疑問である。今月はその疑問を少し深く掘り下げてみたい。
まず、学業の教育には「知識の伝達」と、「知性の涵養」という二つの側面がある。知識の伝達については、伝達すべき知識の内容は、文部科学省の学習指導要領というもので大概決まっていて、その知識の量がめっぽう多いので、現場の先生はそれを生徒に教え込むことに追われて、もう一方の知性の涵養にまでは、なかなか手が回らないことが多い。さらに知識の伝達は、試験というものによって、測定することが出来る。教えるべき知識の内容がほんとうに届いているかは、比較的容易に数値化することが出来る。
一方、一つの教室に約40人の生徒がいて、一人の先生が同じように教えても、試験をしてみると出来る者と出来ない者の差が出るのは、個々の生徒がもつ知性の差によって、知識の需要力が異なるからである。この知識の需要力なるものは、生徒個人の中に眠る生得の能力を、教師が引き出すものであって、外から与えられるものではない。この「引き出す」作業を英語ではeducationと言い、普通は「教育」の訳語となっている。知識の需要力の中には、教室で授業を聞いてそれを理解する力だけでなく、知識に対する好奇心と興味を持って、自ら調べ考える力、ある程度の意志と体力を持って学業に向かう力、自分の考えを深めそれを論証する力、違う意見を持つ他者と討議することを通じて真理にアプローチする力などが含まれる。
この稿の筆者は、学校や教師の主たる役目は、後者すなわち知性の涵養にあるのであって、知識の伝達にはないと思っている。その理由は、「人智に果てはない」からである。文部科学省がいくら精緻な指導要領を整備したところで、この世の知識をすべて18歳までに詰め込めることなど出来はしない。それに、知識は時間と共に拡張変動するので、学校を卒業してからも身につける努力を怠るわけにはいかない。たとえば、この稿の筆者の学生時代にはコンピュータなどというものは一部の研究者のものであったが、今日、パソコン・スマホなしに市民生活を送ることはよほど困難である。と、すれば、遷り行く時代に柔軟に対処し、つねに新しい知識を元に自分の考えを深めるためには知性の涵養こそが大切なのである。
さて、それでは未来の学校では、この二つをどのように整理して生徒達に向かったら良いか。それは、全国数十万人の現場の教師を「知識伝達」の作業から解放し、「知性涵養」に専念させることである。今日印刷物である「検定教科書」を動画に転換し、全国でもっとも面白く教えられる先生(落語家や講釈師、漫才師でも良い)の授業とか、科学映画やノンフィクション映画の粋みたいな動画を生徒に見せる(時にはゲーム仕様でインタラクティヴなものでも良い)ことを以て授業時間の半分くらいを使う。残りの半分の時間は、現場の先生が、動画と同じテーマをフォローアップしながら、テーマへの興味を喚起し、約20人程度の学級で、ゆっくり生徒と向き合い、時には生徒に発表させ、討議させ、実験や観察を行い、野外や町に出かけてホンモノに出会う機会を作り、エッセーを課したりするのである。つまり、「知識の伝達」は動画に任せて、現場の先生は人間でなければ出来ない教育というものに専念することを提言したい。
2021年10月1日
-
組織犯罪
これから語るお話は、この稿の筆者の学生時代の経験を参考に創作したものであって、事実ではない。と、言うことにしておかないと、筆者のみならず、筆者の友人達までが、野暮な当局によって、六十余歳にして卒業取り消しの憂き目に遭いかねない。なので、あくまでも「おはなし」である。
時は1970年代初頭、所は京南大学横浜キャンパス(と、いえば東宝映画若大将シリーズをご存じの方は、どこの大学の符丁かお察しのはず~ちなみにライバル校は西北大学という符丁を持つ)。
京南大学には阿呆学部御世辞学科と称する、一学年約千人、ドイツ語7クラス、フランス語6クラスの巨大学科があり、別に入学試験の成績順に組分けたのでもないだろうが、中でも最末尾M組と言えば、勉強しない劣等生の吹きだまり。何故勉強しないかというと、その頃東京近郊の公立受験校や私立の名門校から、この阿呆学部御世辞学科に入学すると、語学や体育を除いては、学科は高校生時代にやった一般常識みたいなものの焼き直しばかり。文部省の指導要領通りに勉強してきた地方出の秀才にとっては、内容新鮮でも、都会組には阿呆らしくて授業に出る気がしない。いわば横浜キャンパスの二年間は、都会と地方の教育格差調整期間なのであった。
とは言え期末試験が近づくと、ろくに授業にも出ず、まして中身にも興味のわかない遊び人達もさすがに困ってしまい、七、八人の男女が頭を寄せ合ってどのように試験を乗り切ろうかと協議を始める。そこでみんなで一致団結、それぞれが出来る才能を集めて、活かす作戦を立てた。
まず、御世辞学科でも名高い、都内ミッションスクール出身の美女三人組が「ノート集め」を担当する。お昼の食堂などで「ねえ○○学のノートなんて持ってない?」と彼女たちが言うと、彼女たちにぞっこん惚れている他クラスの男子学生が、試験科目のノートを捧げるという仕掛けで、勉強の出来ない男子学生の中には隣の秀才のノートを借りてきて捧げ物にするやつもいる。さて、次のステップは「ノート定め」の儀。たくさん収集したものの中から、どれが役に立つかを定める儀式である。といっても元々劣等生が選ぶのだから、中身を評価するより、字が綺麗だとか、学科一千人の学生中でも超有名な秀才のノートとか、もっぱら外形で評価を与える。次はもっとも才能が薄い「親が金持ち」乃至「コピー師」が登場。当時相当高額だったゼロックスで、選ばれたノートをコピーする。
次にノートは「占い師」または「ヤマ師」と称される男の元に回される。この男は、自分が出ていない授業の試験でもヤマを当てることが出来るという不思議な才能があり、教授が妙に力を入れているとか、「○○学の定番はこれだ」式の推測と最後は勘でヤマを割り出すのである。せっかくノートを借りてきても、それを全部読むのでは、勉強の負荷が重すぎるので、この男が一晩ノートを眺めて、草木も眠る丑満つ時になると自然にヤマが浮き上がってくるとか言うご託宣を信じるのである。ヤマは三発中二発程度あたればよく、実際にその男のヤマの命中率は、その程度であった。
次に遊び人仲間内では一応「才女」と言うことになっているお嬢さんがヤマに合わせて回答を作る。(この人は教科書や参考書を調べて、回答案を作るので一応は勉強をしていることにはなる)
最後は「彫り師」乃至「鉛筆師」という肉体労働者が、その回答を試験会場の机に書き込むのだ。鮮明を尊んで、万年筆やボールペンで答案を書く愚か者もいるが、多くは証拠隠滅が容易な鉛筆で机に書き、答案用紙に写すと直ぐに消したものだ。京南大学の大教室には、代々の様々な科目の答案書き込みが遺っていて、この組織犯罪がある学年だけのものではないことを物語っている。
2021年9月1日
-
いやぁな感じ
今を去る七十数年前のこと。我が国は、アメリカを相手に国家の存亡を賭した戦争の最中であった。
「この戦争に大義はあるか」、などと考えるインテリの数は少なく、大多数の国民は、「とにかくこの戦争に負けたら日本という国もなくなってしまう」という思いで、国家の戦争遂行に協力した。一方、軍部や指導者達も、「総力戦」というものを戦い抜くためには、民間市民の協力が不可欠であるのをよく知っていて、様々な情報操作によって、国民を動員する努力を怠らなかった。
たとえば、都会の市民生活においては、隣組というものが組織され、小さな世帯を四つ五つまとめて、食糧配給、防空演習等々の単位とした。それだけでなく、隣組は「上意下達、下意上通」の道具とされ、政府の情報伝達ばかりでなく市民同士の相互監視と密告による戦争非協力者のあぶり出しのメカニズムともなった。隣組の中には一人くらい必ず口うるさい者がいて、「洋服を着ないでモンペ姿をしろ」だとか「灯火管制中に窓から明かりが漏れている」だとか、ほんとうに戦争遂行上効果があるかどうかわからない、生活の区々たる細事にまで口を挟み、何事も「気をそろえ」市民生活の統一を図ろうとした。街頭には、愛国婦人会の怖いおばさん達が繰り出して、若い娘がパーマネントをかけていないか監視し、時によっては長髪にハサミを入れるなどという無法も働いた。
私たちは、戦後の自由な社会に育って、こうした日本社会に特有の、いやぁな感じというものを忘れ始めていた。が、新型コロナウィルスと人類との「総力戦」が始まると共に、密かにまた日本社会に、このいやぁな感じが忍び寄ってきているような気がするのである。
典型的な例が「マスク警察」と称するお節介な市民の登場である。日本人は、個人として公共心が強く、他者が何も言わずとも(マスクの着用によって自己の感染を防ぐのは困難であるのに、他者の感染防止とエチケットと世間への体裁のために)概ねマスクを着用しているというのに、あたかも愛国婦人会のごとく、マスク不着用者を見つけては説教をたれ、あまつさえ唾を吐きかける(感染防止上もっとも忌むべき行為)などの挙に出でる者が、マスク警察である。
さらに「パチンコ屋が休業しない」と言ってはサラシ者にし、キャバクラやホストクラブでの感染を「夜の街関連」と名付けて、休業補償もせずにあたかも店舗の存在自体が悪であるかのように非難する、要路の人々の所業も、前記のいやぁな感じのあらわれに思える。
小学校の授業にしてから、やっと再開したと思ったら、児童全員前を向いて着席し、ひたすらフェイスシールドをした先生の言うことを聞いて、内容を帳面に写す。給食となれば、隣の児童と口をきいてはならず、黙々と皿の食物を噛んで呑み下す。クラブ活動はなし、休み時間もトイレに行くだけ。トイレに行くのも密を避けて順番で、出したいときに出すものを出せない。そこまでしなければ感染防止の実が上がらないのかどうか、よく分からないのだが、まずは「気をそろえ」「緊張感を持続し」なければいけないという、これもなんだかいやぁな感じである。
最後に、日本ではなく、イギリスの第二次世界大戦中のこと。ドイツの空襲に耐えるロンドン市民に、「妊婦に限り」ギネスの特配があったのだそうだ。その列に腹の突き出たオッサンが平気で並び、配給を受けようとすると、役人がニヤリと笑って、「どうか健やかな赤ちゃんを」と言ってギネスをジョッキに注いだというお話。感染防止に否やはないが、もっとゆとりを持って柔軟な気持ちで、この非常な事態に対処したい。すべからく、我らも往事のロンドン市民に学びたいものである。
2021年8月1日
-
糞 尿
糞尿の話、といってもこの稿の筆者はスカトロジスト(糞尿愛好者)ではないので、糞や尿そのものの話ではない。もっぱら近世、近代の社会がどのようにし尿処理を行ってきたかという話である。
まず、お役所言葉で、糞尿を社会が処理することを「し尿処理」と呼ぶ。し尿の「し」は昨今常用漢字から外されてしまい、ワープロでも出てこない字であるが、「屎」と書く。部首の「尸」は「しかばね」の意であるそうだから、人が米を食った後の屍が「屎」であり、水を飲んだ後の屍が「尿」とは、極めてわかりやすい。ちなみに、「屎」と同義の「糞」も部首が米偏になっている。米ノ異ナル者、転じて米の果てを掃除、始末するという意味でもあるそうだ。
さて、読者各位は、なんとなくこんな風に思っておられないだろうか。すなわち、近世、欧州の国々たとえばパリでは、人民がおまるに汲んだ糞尿を建物の上階から道路にぶちまけ、下を歩くものはそれを被らないように、気をつけて歩かなければならなかった。また王侯貴族の館ヴェルサイユ宮にも、ろくな客人用のトイレがなく、客人が携帯おまるに出した糞尿は、従者が外の庭園に捨てたので、くさくて仕方がなかったらしい。それに引き換え、同時代の江戸では、近郷の農家が舟で江戸へ寄せて、人家の糞尿を汲み取って、購入して帰り、田畑の肥料にするというリサイクル・システムが成り立っていた。つまりは、し尿処理に関しては、欧州より我が国の方が優れてエコであったという理解である。この理解は、大筋そんなに間違っていない。が、問題はその後の話である。
本稿は、パリの下水道について書くことが目的ではないので、概略だけを述べると、19世紀初頭ナポレオン一世の時代に始まり、1860年代(我が国の明治維新の頃)ナポレオン三世のパリ都市改造と並行して完成した下水道網の威力で、パリは漸く疾病からも守られた衛生的な都市に生まれ変わっていった。一方の、江戸・東京はどうだったのだろうか。
簡単に言えば、世界に冠たる江戸のエコ・システムは、明治、大正、昭和と時代が下るにつれて崩壊していった。最大の理由は、化学肥料という技術革新。それに人件費増による輸送コスト増加、都市部の人口増による糞尿の供給過多などが相まって、農民が人肥を買い取る仕組みが、算盤に合わなくなってしまったからである。1918(大正7)年には、農民が金を出して人肥を買うのではなく、市民が金を出して農民に糞尿を汲み取ってもらう仕組みが出来た。これは大きな転換点であった。その後、様々なし尿処理の技術が発明され、時代と共にいくつものし尿処理場が東京周辺に建設されたが、その基本は人家の便所から糞尿を汲み取り、し尿処理場に輸送して処理を行い、液体と固体とを分離し、固体の方からはなにがしかの窒素などの有用な物質を取り出すという方式であった。だが、東京は着々人口増加をみて世界一の大都会へと発展していったのに対して、し尿処理能力は、いつも不足していた。この結果、河川などへの不法投棄、役所による合法的な海洋投棄などにより、1937(昭和12)年頃には、東京湾沿岸は赤痢など多くの疾病の発生源となってしまった。だが、この間一貫してし尿を下水に流すという発想はなかった。なぜなら、日本の都市インフラは貧弱で、下水管が糞尿投棄に耐えず、また末端の処理能力もなかったからである。この問題を最終的に解決したのは、水洗便所の普及と浄化槽の導入であった。要約すれば、都市インフラに頼るのではなく、個々の家庭や事業主の負担において、衛生的な便所を設備し、あわせて、その地下で個別にし尿処理を行うことにしたのである。結局役所は何も出来なかったのだ。
2021年7月1日
-
オンライン その2
前月に続き、オンライン○○についての、整理と論評である。
【オンラインファッション】 既製服をオンラインで注文するには、つねにサイズの不安がつきまとう。ブランドによって、S,M,Lのサイズ表示は微妙に違う。試着せずに自分にあったサイズを求めることにはリスクがある。そこで、この稿の筆者は、かなり以前、駅構内やショッピングセンターなどにある証明写真ボックスに似た「人間シルエット測定器」の広範な設置を提案したことがある。これは、箱の中に人間が入って服を脱ぎ、頭の頂から靴の先まで、洋服・靴のオリジナル作成に必要な寸法諸元をスキャンしてもらい、web上に登録する装置である。試着室での脱ぎ着程度の時間で登録は可能である。これさえあれば、webカタログで見たモデルの服装を、そのままAIが自分用のオートクチュ-ル(注文服)に仕立ててくれる。実際にはzozoが似た様なことをもう少し簡易にしたビジネスモデルで実施している。
【オンライン診療】 いまや感染症拡大防止と、医師の生命を守るためにオンライン診療は欠かせないシステムとなりつつある。これも平時には、「初診は対面で」とか、いろいろな制限が付加されていたのだが、今次の新型コロナ事変で漸く、より制限の少ない形で普及が始まることになった。
が、医師が的確な診断をオンラインで下すためには、患者の訴えを聞き、診察することと並行して、各種の検査が不可欠となる。新型コロナウィルス感染が蔓延して、はじめて検査者をリスクから守る安全な検査を、速やかに多数行うことも、問われるようになった。
今後は患者が自分でバイタルデータを測ることができる検査装置を開発し、そのデータをオンラインで医師に送信することが、オンライン診療を促進するためにも必要となるだろう。血圧、心拍数、体温などは割合簡単に、腕時計くらいの装置で、オンライン化できるだろう。だが、問題なのは血液検査であると思う。(既に糖尿病などでは、患者自身が血糖値を図るキットが普及している)
【オンライン選挙】 選挙のための投票も選挙運動も基本的には「人寄せ」によってこれまで行われてきた。その意味で、選挙のオンライン化が実現すれば、感染症対策上かなり有効であることは論を俟たない。まず選挙そのものについて言えば、マイナンバーカードを(強制的にでもよいから投票券の代わりに郵送するのでも)普及させ、選挙権の行使をマイナンバーと紐付けて行うことが急務である。マイナンバーと紐付いた電子的な投票であっても、「誰がどの候補者に投票したか」を分からなくするスクランブルの技術は既に開発されて、政府の作った電子投票のソフトは存在している。が、技術実証のための実験で失敗して現在お蔵入りになっているらしい。
次の重要なポイントは、在宅投票である。
高齢化が進む現在、また海外在住者も多数存在している現在、投票所や大使館に足を運ばなくて済む仕組みの開発は急務である。これも、マイナンバーカードとの連携によって、実現できる。が、投票する者を、家族や入居施設の管理者等が監視したり、強要したりしないことをどう担保するかが問題である。もう一方のポイントは、【オンライン選挙運動】のためのノウハウ開発である。候補者が自らの名前を連呼して、選挙区を走り回り、集会や街頭演説で人寄せをすることは、どのようにして避けられるか。ウェブサイトやSNSなどを用いた選挙運動の成功例をつくることが急務である。今年11月に予定される米国の大統領選挙あたりが、そのチャンスであろうと思われる。
2021年6月1日
-
オンライン その1
新型コロナ感染症の蔓延で緊急事態宣言が発せられ、市民一同在宅待機、外出自粛となって、急速に普及し出したのがオンライン○○の類である。それらの中には、過去既に開発されて活用が始まっているものも多いが、この社会状況の中で、一気に使われ出したものも少なくない。以下多くのオンライン○○について、整理しながら述べたい。
【オンライン授業】 学校教育を映像で行うという意味では、50年以上前から、科学映画や教育テレビなどでコンテンツがつくられ、作り方も既に成熟している。また、今世紀に入ってからは、衛星放送によって地方の受験生に予備校の授業が配信される事例も増えてきた。つまり、誰かが相当な準備をして動画による授業を配信するということについては、日本社会のインフラは既に整っている。が、学校というところは、生身の先生が、生徒と対面で授業をすることを身上としているので、いきなり学校が休業になると、アカの他人の作ったコンテンツを生徒に見せるのではなく、先生が自分で行う授業をテレビ会議に近い方式でやりたいと言うことになる。
この種のテレビ授業のソフトも、ここ数年普及が始まっており、なかなかよく出来たものもあるのだが、如何せん平時には当の先生達が、そんなものを使う意欲があまりなく、白墨と黒板さえあれば、学生生徒は学校にやってくるものだと思っていたので、急に日本中の学校が休業しても、先生がソフトの使い方を知らず、十分な対応ができないというのが現状である。生徒の方もみんながパソコンを持っている訳ではないので、オンライン授業に対応できない者もいる。要すれば、先生達が教員免許を取るときに、オンライン授業のやり方の基礎を学び、且つ貧乏な生徒にもパソコンかタブレットを配る制度を設ければ、今後は何が起きてもオンライン教育は、可能となるだろう。もっとも平時に戻ったときに先生が再び安心してしまい、オンライン教育への意欲を失わなければの話だが。
【オンライン会議】 ビジネス用のテレビ会議から、帰省できない核家族が、おじいちゃんおばあちゃんのもとに【オンライン帰省】とかをするためから、とにかく他人とのコミュニケーションを、webを通じて行うインフラは、ハード、ソフトともかなり整っている。緊急事態宣言が発せられると、企業、ビジネスの世界では比較的スムースに在宅勤務、オンライン化が進み、某電気会社社長の言うにはかえって以前よりディシジョンメーキングが効率よく為されるようになったとか。但し二つこれでは解決しない問題がある。一つ目は、工場や建設現場、農漁業などで、人間が、情報ではなくモノを取り扱う世界。二つ目は、きわめてセキュリティの高い情報を扱い、会社のサーバーから自宅に情報を持ち出せない場合、あるいはテレビ会議を誰かに覗かれない工夫等が必要な場合である。
【オンライン飲み会】 これは、筆者も試みたことはあるが、世界各地の事業所の従業員が、酒を飲みつつ相互交流するとか、酒を飲みながら、オンライン会議をやるとか、特別の事情がない限りあまりうまくは行かない。飲み会運営は、参加者の酔い具合、つまみの頼み方等かなり微妙な技術が必要でありオンラインでは難しい。仮想世界で初音ミクかなんかと飲み会した方がまだましである。
【オンラインデート】を恋人同士でするというのも、そもそも究極の目的は「濃厚接触」にあるのだから、恋文や長電話程度の効果しかなく、隔靴掻痒、もどかしさを解消できない。一方で、家族間の場合、コミュニケーションの目的は「濃厚接触」にはなく、「お互いの無事」を確認することにある場合が多いので、既存のソフトウェアで十分事足りる。(以下次号に続く)
2021年5月1日
-
政治の手ざわり
平時、つまり新型コロナウィルス感染症が蔓延する以前において、この稿の筆者は、政治の手ざわりについてこんな感想を持っていた。すなわち、都会の住民より、地方の住民の方がはるかに政治(家)を身近に感じる機会があるという感想である。
都会の住民にとっては政治をもっとも身近に感じるのは、ゴミの収集くらいで、そのほかは、税や年金の徴収すら(所得税も社会保険料もサラリーからの天引き、消費税も最近は内税表示)「見えない化」が図られており、道路、橋、水道などのインフラは自分が生まれるより前から「そこに在る」ものなので、なくならない限り恩恵を感じられない。なにより、一般庶民が政治家のところに陳情に行く機会はまずないといってよい。
とくに、縁がなさそうなのは、都道府県のレベルの自治体で、ほんとうは教育委員会とか水道局とか旅券事務所とかけっこうお世話になっているはずの部局が在るのだが、どれも皆国の出先機関のように見えてしまい、なにか大きな方向を決めているのは国の役所のように思えてしまう。では、国の政治はというと、議院内閣制といういわば間接民主主義で成り立っているから、選挙に投票したところで自分の意見が国の政治に反映されるという実感には乏しい。
一方、地方に住んでいると、地元の有力政治家が出世して総理になれば、東京の「桜を見る会」なんていう国家行事にも招いてくれる機会もあるだろうし、そうでなくとも、地元のナントカ会の集まりに顔を出せば、国、県、市町村各級議員の一人や二人は必ず来ていて、主催者の迷惑を顧みず、一言挨拶することになっている。道路や橋などのインフラは、まだ地方では若干は不足しており、我田引水を求めて早く自分の周囲のインフラを整備してもらうには、陳情で議員に面会することは不可欠である。そもそも、選挙自体が、地域のお祭り的な行事という意味では、きわめて身近である。市区町村議員なんていうのは、近所のオジサン、オバサン達の中から目立ちたがり屋がなるものだし、国政選挙ともなれば、その近所のオジサン、オバサン達が毎日いずれかの候補者の事務所に出入りし、目の色を変えて、勝ったの負けたのと騒ぎ立てる。さらに言えば、子供の就職、嫁、婿の世話など地元のセンセイの秘書を通じてちょっとした口利きのお願いをする場合もままあり、そういう場を通じて一般庶民といえども、政治のミニ利権に組み込まれてしまう機会は数多くある。
上記都会、地方を通じても、一番影の薄い、庶民から遠い存在は、都道府県庁と知事だろうと筆者は思っていた。とりわけ知事なんて者は、候補者の政策ではなく、支持する国政政党の推薦を受けた者か、そうでなければ、テレビに出演しているので顔をよく知っている、あるいは見た目が清新な感じがする人というような印象で選んできたような気もする。
ところが、このところ新型コロナウィルス感染症が、蔓延するに及んで、都道府県という役所と知事という存在は、一挙に身近なものになった。対策の陣頭に知事が立ち、しかも、すくなくとも総理とか国レベルの当事者よりは、かなり現場感覚のある発言、発信を私たちにしているのを見ると、政治の手ざわりが感じられるのである。そして知事達の中には筆者が政治的に支持している方もそうでない方も居られるが、おしなべて役人の書いた実感のない調整的な文言や空疎な修辞を述べる国の政治家よりは、手ざわりが良い。今更ながらに、知事の選び方をおろそかにしてはならないと思う。地域の指導者を私たちが直接選挙で選ぶというメカニズムを再評価したい。
2021年4月1日
-
告 解 (続)
前号では、この稿の筆者がカトリックのキリスト教徒の家に生まれ、生まれて直ぐに幼児洗礼というものを受けさせられてクリスチャンになったこと。子供の頃からカトリック教会の「公教要理」という宗教教育を受けて、教会内での「初聖体拝領」とか「堅信の礼」などの通過儀礼もとびきり早く受けて、信者としての出世が早かったこと。だが、毎週自らの罪を教会で告白させられる「告解」という儀式が次第に心の負担になってきて、遂には教会を離れるようになったこと。などを述べた。
筆者にとって、「告解」の儀が心の負担になってきたのは、自らの犯した罪を告白させられるからではなく、筆者の記憶として毎週のように「罪」などを犯しているという自覚がまったくないのに、教会の御堂内に設置された告解ボックスの中で、神父さんに「犯したはずの」罪の告白を強要されたからである。神父さん曰く、人間たる者、一週間生きて罪を犯さないはずはなく、もしも何も罪を犯していないというならば、「それはあなたの傲慢である」というのである。そこで筆者は仕方なしに犯してもいない微罪をでっち上げて告白し、お茶を濁してきたのだが、よく考えてみれば、毎週そのような嘘をつくことの方が、よほど罪深いと思い直し、結局教会を離れたというのが、前号までの話の要約である。まあ、筆者としては、テレビドラマの時代劇でよくある話で、何も罪を犯した心当たりがないのに、奉行所の裏手で、心ない同心、与力に責め道具で拷問される町人といった気分である。
さて、この話にはさらに後日談がある。それは筆者が中学に入ってしばらく後のことであった。
帰宅してみると、我が家に客が来ていて、二十歳を少し過ぎたくらいの若い神学生が私を待っていたのである。その神学生が言うには、立派なキリスト教信者(筆者のこと)が、神の御許を去ろうとしているので、迎えに来たとのこと。しかもどうやら、神学校が何故その者を我が家に派遣したかというと、どうもそれ自体が彼に対する試験であって、彼は私を改心させ教会に戻すことが出来れば神父になれる、失敗すれば神父になれないということらしかった。つまり、私の改心に彼の神学校卒業がかかっていたらしいのである。
なので、彼は真剣に筆者を説得しようとした。だが、聞けば聞くほどその神学生の言うことは、さっぱり分からない。要するに、彼の言うには、私は神という者と、信者となる契約をしたのに、心が弱く迷いが生じて、神から離れようとしているというのである。たしかに神学生である彼は、そのときの私より少し年上の時に、自ら神の存在を信じて、「神との契約」である洗礼を受けたらしい。ところが、筆者がその契約を何時したかというと、生まれて七日目のことだという。それはなんでも私の両親が、万一私が夭折したときに洗礼を受けていないと天国に行けないという教えを真に受けて、保険に加入する気持ちで洗礼を受けさせたのであった。生後七日の赤子に、自分の意志などあるわけはないので、「神との契約」などと言われても、筆者にとっては郵便局の勧誘員に騙されたみたいにしか、思えない。ついでに言えば、「罪の告白」を強要して信者の子供に嘘をつかせる教会のやり口は、筆者としてはなんとも気にくわない。そのことに対しても、神学生の言うには、毎週自分の犯した罪を告白できないような者は、すでに悪魔の誘惑にとらわれているとのことで、もはや筆者と神学生の言い分は完全にすれ違い、筆者は、強い自覚を以てキリスト教徒をやめる決心をしたのであった。
それにしても、彼の神学生は、その後神父になれたのだろうか。
2021年3月1日
-
告 解
特定宗教の儀式の是非を論じるのは本欄にはふさわしくないかもしれないが、以下はこの稿の筆者の実体験に基づくもので、なんら脚色せずに述べることをご容赦願いたい。
筆者の両親は、敬虔なカトリックのキリスト教信者であった。もう少し詳しく書くと、両親は敗戦後の日本で、人生の価値のよりどころを求め、自らの意志で洗礼を受けて信者となり、教会で知り合って結婚し、程なく筆者が誕生したのである。彼らは生まれたばかりの筆者にも、当然ながら幼児洗礼を施した(カトリックの教義によれば洗礼を受けないまま夭折すると、その子は天国に行けないのだそうだ)。その後も筆者が進学するごとに学校の連絡簿に、「家庭の教育方針」は「カトリック教義に基づき・・云々」とか書かれてあった。小学校の中頃からは家の近くの教会で毎週行われる「公教要理」とかいう一種の宗教教育の塾みたいなものに通わされた。なにせ、絵に描いたような敬虔な信者の家の子であるから、教会に通う子供達の中でも筆者はエリートで、初聖体拝領だとか、堅信の礼だとかもとびきり早くにクリアし、教会の期待する若きホープの一人であったのだ。
だが、そのような宗教教育が、本当には筆者の身についたものではなかったことが、やがて判明する。小学校も高学年に進むにつれて、筆者の心の中に、むくむくとカトリックの教えに対する疑問や反発が頭をもたげてきたのである。わけても困ったのが「告解」(今日のカトリック用語では「赦しの秘蹟」、一般の日本語では懺悔~これも仏教では「さんげ」、キリスト教では「ざんげ」というらしい)という名の奇妙な儀式である。 これは毎週一回、教会堂の中に設置された木製のボックスの中に入り込んで、己れが犯した「罪」を告白させられる、と、いう儀式なのである。ボックスの中は真ん中で仕切られていて、仕切り壁に小さな窓が付いている。仕切りの向こう側には神父さん(誰が入っているかわからないことになっているが、地域の教会の神父なんてものは一人か二人しか居ないから、誰かは直ぐに分かってしまう)が居て、筆者の「テストの悪い点を親に隠しました」とか「親の言いつけに背いて遅くまで起きていました」みたいな他愛のない「罪」の告白を聴いてくれることになっている。そしてだいたいはちょっと神父さんのお説教があった後で、「めでたし聖寵満ち充てるマリア」とか「天にまします我らが父よ」とかいう短いお祈りを、罪の程度に応じて量刑のごとく何回か唱えると、無事「神様はお赦しくださいました」ということになって、無罪放免という訳なのである。
しかし、翌週例えば「今週は何も罪を犯しませんでした」とか告白したりすると、「君はなんと傲慢なのか(人間だもの、罪を犯していないわけがない)」と、軽罪を犯したときの何倍も叱られてしまうのだ。しかし十歳くらいの子供がそうそう罪など犯すわけがないし、傲慢とか言われると、開き直って「では罪とは何か、例示せよ」と神父さんに議論をふっかけたくなる。そのときは、たしか向こうは「モーゼの十戒」かなにかを持ち出してきたのだと思うが、だいたい姦淫とか殺人とかいう罪は大人が犯すものであって、子供がそうそう犯すわけはないのだ。
そこで私は、しばらくはつじつま合わせに犯してもいない軽罪をでっち上げて告白してきたのだが、そのうち告解という制度がある故に嘘をつくという方がよほど罪深いと悟り、次第に教会そのものに行かなくなってしまった。「心の罪をうちあけて更けゆく夜の月すみぬ」(i)という歌の文句があるが、宗教で言う罪とは、刑法のように細かい定義があるわけではなく、いわば「心のやましさ」である。
告解、懺悔で神仏に赦しを乞い、心が安らぐのは大人になってからの話なのではないか。
(i) サトウハチロー作詞、古関裕而作曲、藤山一郎歌、「長崎の鐘」
2021年2月1日
-
入試改革(再)
2018(平成30)年8月に「入試改革」を掲載したときも、、入試改革反対論者は「まだどうなるかわからない」と、余裕綽々で言っていたものだ。が、流石にこの稿の筆者も、十年ほど前から進められ、2021年2月をめざしてきた入試改革が、ガンラガラガラと崩壊し、土壇場に来て何もかもが跡形もなく消え去ってしまうとは思わなかった。が、一昨2019年暮れに起きた大ドンデン返しによって、今次入試改革の二つの目玉であった「民間英語検定導入」と「センター試験への記述式導入」は、いずれも消滅の憂き目を見て、当分は復活する見込みはない。痛恨とはまさにこのことである。
本号ではそのことについて、少し詳しく述べてみたい。
先ず「民間英語検定」を以て、大学入試の英語科目に替える動きについてだが、2020(令和2)年2月「ちゃんとした英語」に於いて述べた如く、TOEFL、IELTSといった国際的に通用する英語検定試験を以て従来の大学入試の英語科目に替えることは、我が国の中等英語教育を国際的に開かれたものとし、生徒の英語力を国際的な標準で評価するために望ましいばかりでなく、緊要なことであった。ところが、導入の過程で、こうした国際的に通用する英語検定ばかりでなく、かねてから文部科学省主導で進められてきたいわゆる「英検」が加わり、さらに大手国内業者の推進するGTECなどがこれに加わるに及んで、話が少し複雑になってきた。これら多数の検定試験のスコアを横並びで比較するためにCEFR(外国語の学習、教授、評価のためのヨーロッパ共通参照枠)なんてものが持ち出されてきたのだが、もともと違う団体が異なる評価軸で英語力を測ろうとしているものを、むりやり横並びに比較しようというきわめて日本人好みの技には無理があったのだと言わざるを得ない。さらに言えば、民間英語力検定が潰された直接の理由は、「田舎では、検定を行う機会が都会より少なく、また田舎から都会に出て検定を受けるためには費用もかかるので、公平を欠く」と言うことらしいが、これはあまりにもとってつけた理屈で到底首肯できない。なぜなら、上記の英語力検定の多くは、インターネット経由でどこに居ても受験できるタイプのものが用意されており、また、必要であるなら、政府の力を持ってすれば、ネット受験などの仕組みを構築するのは至極簡単だからである。英語検定は国際的に通用する事業者の行うコンピュータ方式のものだけにすべきであったのだ。
次に、話を「記述式」に移す。「記述式」が「短答式」に比較して、受験者の考える力、論理を構築する力を測る上で、有用であることは誰でも容易に察しがつくことである。が、記述式の回答を公平に審査するためには、フィギュアスケートとか体操の採点のように、5人くらいの審査者が主観で採点し、最高点と最低点を切り捨てて真ん中の三人のさらに平均点をとるというような、きわめてコストのかかる手順が必要である。これを少子化したとはいえ数十万の生徒が受ける新しいセンター試験に持ち込もうとしたことに無理があったのではないか。且つ、採点を数十万人分民間事業者に委託しようなどというのは、安易過ぎる。ではどうすればよいのかというと、センター試験では「短答式」の知識を問う問題に徹し、これを「資格試験」に用い、各大学が独自に行う二次試験に於いて、記述式と面接を組み合わせた手のかかる評価を少数の受験者に対して行うべきであったのだと思う。
結論として、センター試験を「資格試験」に置き換え、高校在校中に複数回受験できるようにするという、最初の構想が消えたあたりから話がおかしくなったのだ、と、筆者は思っている。
2021年1月1日
-
絆
絆(きずな、きづな)は、本来は、犬・馬・鷹などの家畜を、通りがかりの立木につないでおくための綱。しがらみ、呪縛、束縛の意味に使われていた。「ほだし」、「ほだす」ともいう。人と人との結びつき、支え合いや助け合いを指すようになったのは、比較的最近である。
(Wikipedia)上記の通り、人と人との結びつきは、時として、一方、または双方の人を束縛するものでもある。
東日本大震災に際して、津波が襲った地域の多くは、東北沿岸の田舎の漁村であった。これらの地域では、もともと共同体の結束が固く、それだけに隣家との日常を津波が破壊してしまったことは、住民にとって大きな被害であった。山の上に設けられた被災者用のプレハブ住宅には、見ず知らずの隣人が入ってきて、新しい人間関係を一から作り直す必要があり、それは入居者にとってかなりのストレスであった。そしてせっかく新しい隣人とも仲良くなれた頃には、入居期限が来て、かさ上げされた元の土地に住宅を建てるか、どこか家族などの住む別の地方に引っ越すかの選択を求められ、つかの間の「絆」とも分かれなければならなかった。
報道では、そうした被災者のストレスに「寄り添い」、被災者ができるだけ結束の固いコミュニティに、ふたたび属することが出来るように呼びかけ、そうした地域の絆の復活を全国民挙げて支援すべきことを訴える。「絆」は、被災から時がたった今でも、忘れてはならない大切なこととされている。
この稿の筆者は、上記のことが、東北の、人の出入りの少ない寒村のことである限り、あえて異議を唱えようとは思わない。だが、それは都会に住む者の日常感覚からすれば、かなり違和感を持たざるを得ないことでもあるのだ。たとえば、筆者は60年余の人生で、隣人の家に靴を脱いで上がったことは一度もない。隣人とは、概ねゴミ収集日の朝とか、交通事故や火事が近くであった時などに偶然顔を合わせ、簡単な挨拶を交わす程度の存在である。隣家の家族構成だって、筆者は詳しく知らない。
また、全国型企業の会社員になれば、突然の転勤で知らない地に住まなければならないのは、いわば約束事であり、会社から「君、来週から○○県の勤務だから・・」などと言われても、抵抗するすべはない。「人生至る所に青山あり」と自分に言い聞かせて、新しい勤務地に早く楽しみを見つけようと努力するしかない。世間でも、会社員の定期的な転勤をとくに非人道的なこととは言わない。転勤は、会社員であれば当然のことであり、運命(さだめ)と言ってもよい。
では、会社員に絆はないのか。かつて日本の会社員には、地域の絆こそなかったが、終身雇用・年功序列制度に基づく「企業ムラ社会」的な絆は極めて強くあった。会社は終身雇用を守る代わりに社員を彼方此方に転勤させ、能力があっても一定の年季を経なければ登用しない人事制度をつくることで、社員全般の不満を分散し、「絆」の強化を図ったのである。
今日、田舎が過疎化し、限界集落が増えることにより地域の絆は弱まり、終身雇用・年功序列制の崩壊によって、企業の社員間の絆も弱くなった。今世紀に入って、震災が来なくとも、身近な日常生活で、人間同士をつなぐ「絆」はこの国からどんどんと消えようとしている。だがそれは、社会の変化であっても、人間の自然に反することとまでは言えない。筆者はむしろ、個人原理に基づいて、見知らぬ人、多様な人々とつながることができるような、新しい「絆」の在り方を追求したい。
2020年12月1日
-
ク ラ ブ (続)
むかし、この稿の筆者が体験した、クラブにまつわるお話を二つ。
「おい、ホーンブロワーって知っているか」と支店長が尋ねた。ホーンブロワー・シリーズは、ナポレオン戦争の頃の英国海軍軍人のお話。「のらくろ」の様に物語の中で出世して、やがては戦列艦の艦長になって大活躍する。で、支店長ご贔屓のクラブのママさんが、その本を読んでめっぽう面白いということで、支店長にその話をしたらしい。物知りの支店長にしては珍しく、その本のことを知らなかったものだから、口惜しがって、支店内では読書家で通っているこの稿の筆者にお尋ねがあったという次第。ちょうど大学の終わりから就職したての頃、筆者もそのシリーズにはまっていたので「はい、はい」とばかりにホーンブロワーの蘊蓄を支店長に伝授したところ、「話のつまみに」と、そのご贔屓の高級クラブに連れて行っていただいたのが、この稿の筆者と高級クラブのご縁の始まりである。その後、このクラブには、ホーンブロワーの御利益か、一人で行っても一切ロハ(無料であることの業界用語)で呑ませていただいた。先輩達からは、嫉妬もあって「君は無料と思っているかもしれないが、君が呑みに行った分はしっかり支店長の勘定についているのだから、注意しろよ」なんて言われたりした。このクラブは某巨大自動車会社と某大手商社の鉄鋼部門が、商談の後で二次会に使うだけで成り立っている店で、支店長はもとより、私の飲み代など勘定の内にも入っていないことを知ったのは、ママさんに随分かわいがっていただき、こちらもお礼に年末の大掃除を手伝ったり、税務申告前の帳付けのお手伝いなんかをするようになった後のことである。年齢が極端に若かったこともあり、ママさんやホステスさんと色恋沙汰があったわけでもないが、クラブ接待のメカニズムを知るという上では、若い内によい勉強をさせていただいた。やがて筆者は東京本社の宣伝部門に転勤。銀座のクラブで、放送局や広告代理店に接待される立場になった。その頃の話をもう一つ。某県にはローカル放送局が四局あった。筆者の会社は、この県で宣伝しようとするとき、各局からテレビスポット枠を買う。筆者はその買付窓口という役割だった。だいたい、四局で入札してそのうち二局を買うということにしていたのだが、一年にのべれば四局平等くらいのお付き合いであった。あるとき、新設局の営業担当者T君が退職し、広告宣伝業界を去ることになった。そこで、筆者の呼びかけで、この県の担当広告代理店さん、そしてライバル各局の営業担当が、銀座のビヤホールで彼の送別会を開催し、ポケットマネーで記念品まで買ってT君の前途を励ました。一次会は割り勘で和やかにお開きとなり、その帰り道の話である。
ビヤホールの面した銀座通りを渡ると華やかなネオン街。誰かが「もう一軒行きましょうか」と言ったのかどうか、私たちは並んで歩いていた。すると、T君が突然立ち止まったまま動かなくなった。そこには、今でも存在するPという超々高級クラブが入っているビルがあった。T君は泣きそうな顔をして、「一生の思い出にPに行きたい」と言う。これには皆が青ざめた。Pにこの人数で入ったら、当時の金で10万円ではすむまい。そんな交際費は誰も持っていないし、第一、その場の誰もT君をクラブ接待する義理はない。そのときPに入った記憶はないから、きっと広告代理店さんが、Pの前から動かないT君を説得して、なんとか引き離したのではないか。T君は、業界を去ったはずだったのだが、しばらくして、東北地方某局の営業担当として業界に帰ってきた。筆者の担当ではなかったのでその後のことは知らない。が、無事に出世してPに出入りできる立場になったのだろうか。
2020年11月1日