暦の話である。
暦については、太陰暦と太陽暦、天文学の進歩に伴う各種改暦の話題等があるが、これらについては一応世界的に決着がついていて、1582年にローマ法王グレゴリウス13世が制定したグレゴリオ暦(1年は、平年365日、閏年366日、閏年は4年に1回だが、400年に3回4の倍数年なのに閏年のない年がある)が世界標準となっている。漢字文化圏では、これを西暦と呼んでいる。
キリスト教に異論がある国や人でも、暦法自体は概ねグレゴリオ暦の数え方を踏襲している。
だが、暦法はそうであっても、紀元、年号、一年の中での月、週、曜日の数え方等については、「何もローマ法王の言う通りにしなくたって良いじゃあないか」と考える者がその後も頻出している。
中国の黄帝紀元、我が国の神武紀元などは「キリストよりこちらの方が古い」と自己主張するためだけにあるようなものだ。が、中華民国暦、ソビエト連邦暦などは、ある国の革命によってそれまでの体制が覆され、政治や経済に関する主義主張が新たになったばかりでなく、庶民の生活文化面でも刷新が必要と言うところから、暦を新たにした「革命暦」である。
今日はその中から、革命暦の本尊と言えるフランス共和暦を、少し詳しくご紹介しよう。
フランス革命暦は、フランス語でCalendrier révolutionnaire français、その別名である共和暦は、Calendrier républicainという。1792年9月22日フランスではブルボン王制が廃止され、翌年1月21日には前国王ルイ16世が処刑された。その年、1793年の11月に制定されたのが共和暦で、フランス共和制が発足した前年の西暦9月22日を紀元(共和暦元年1月1日)とした。
共和暦制定の目的の一つは、暦法ではグレゴリオ暦を踏襲しながらも、七日一週制も含めたキリスト教の生活文化を排して、できるだけ合理的、近代的なものに置き換えようとするものであった。
その核となる考え方が、十進法の導入。平年は365日だが、1ヶ月は30日、12ヶ月は360日、残りの5日(閏年では6日)はどの月にも属さない休日として「正月」(だが元旦が西暦9月22日なので秋たけなわの陽気の良い時期)直前に配置された。週と曜日は廃止され、かわって10日間の「旬」が生活の単位となった。
フランス共和暦でもっとも秀逸なのは、12の月の名前であろう。[秋] Vendémiaire ヴァンデミエール(葡萄の月) 、Brumaire ブリュメール(霧の月)、Frimaire フリメール(霜の月)、[冬] Nivôse ニヴォーズ(雪の月)、Pluviôse プリュヴィオーズ(雨の月)、Ventôse ヴァントーズ(風の月)、[春] Germinal ジェルミナル(芽の月)、Floréal フロレアル(花の月)、Prairial プレリアル(草の月)、[夏] Messidor メスィドール(収穫の月)、Thermidor テルミドール(熱の月)、Fructidor フリュクティドール(果実の月)とすべて韻を踏んだ、農業にちなんだ洒落た名前がついている。
さらに念の入ったことに、一日一日にも、たとえば葡萄月28日はトマトの日とか、霧月5日はガチョウの日とか、花、野菜、果物、鳥、家畜、農機具等の名前がついている。
この暦は、1806年皇帝ナポレオンによって廃止されてしまう。その原因となったのも行き過ぎた十進法の導入だったとか。共和暦では時間も1日は10時間、1時間は100分、1分は100秒というおよそ庶民の生活と異なる時を導入しようとして失敗した由。革命も、暦も、やり過ぎは良くない。