小沢一郎裁判は、この稿が発刊される頃にはすでに判決が出ているかもしれない。
裁判の結果小沢氏が、有罪になるのか無罪なのかはここでは問わない。が、この裁判の中で小沢一郎の罪を問おうとする側が声高く主張している内容に、違和感をもつ点がある。この裁判は、要するに彼の秘書が行った4億円だかの土地の売買に、彼本人が関与したかどうかということを争うものであった。秘書は「報告はした」という(この証言の信憑性も争点だが)。小沢氏は「聞いたのかもしれないが、よく覚えていないし、指示もしていない」という。検察官役の弁護士は、「そんな多額の自分の財産を処分するのに、下の者に任せきりにするわけはない。きっと指示したはずだ。」と追求する。予断としては、「下僚に罪をなすりつけて、自分は逃げようとしているのではないか、それは許さない」と言いたいのだろう。だが・・何となくの話として、こういう地位も高く忙しい人が、4億円程度の土地取引について「下の者に任せきり」で「ふんふん、あ、そう」という態度をとることが「一般人の常識ではあり得ない」程のことなのだろうか、と思うのである。
日本的風土の中では、部下に細かい指示をする上司はむしろ避けられるのではないか。
そこで、話は急に飛んで、日本人の西郷贔屓ということを考えてみたい。
西郷隆盛は、薩摩出身。明治維新の英雄である。が、明治維新の十年後、西南戦争を起こして新政府と武力で争い、征伐されて命を落とした。明治時代には「反逆者」とされて長く名誉回復されなかった。その「西郷さん」が「反逆者」であるのに、多くの日本人から愛されたのは、西郷さんの態度がまさに「下の者に任せきり」「責任だけは自分でとる」というように見えたからなのだろう。
西郷は、政府内の論争に破れ、鹿児島に帰って、「私学校」というものをつくり、郷里の若者たちの教育にあたった。その若者たちが、暴発して明治政府の武器庫を襲ったのを知ったとき西郷は薩摩弁で思わず「しもうた」(しまった!)と叫んだという。だが、すぐに「この命はおはんら(私学校の若者たち)にくれもそう」と言って、反乱軍の将に担がれることを受け容れたという。日本人は、本能的に「上に立つ人は、西郷のような人であってほしい」と願っているところがある。逆に、切れ者でも、自ら事を企画し、細かい指示を出して部下を使うようなタイプの上司(たとえば西郷の親友でありライバルでもあった大久保利通?)はあまり好まれない。史実の西郷は、とくに若い頃は細かいことに良く気がつく良吏であったらしいが、人の上に立つに及んで、日本人の性向にあわせて、「担がれる上司」を演じるようになったのではないだろうか。 話は、小沢裁判に戻る。小沢一郎氏が有罪になれば政治的に失脚し、無罪なら復権するだろうというのは早計である。日本人が期待するのは、横文字のaccountabilityとかcomplianceとかが似合う上司像ではない。だが、「秘書がやった不始末も全部自分で背負って責任をとる」上司なのだ。だから、裁判の帰趨にかかわらず、小沢氏が人気を回復するのは、なかなか難しいのではないだろうか。