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TOP今月の言葉弛い(ユルイ) 2014年03月

今月の言葉

2014年3月1日

弛い(ユルイ)

 時は寿永3年(1184年)1月20日、天下の形勢は西に都落ちした平家、京には朝日将軍木曽義仲、東には鎌倉殿源頼朝。後白河法皇の義仲追討の院宣に応じた鎌倉勢は5万5千余騎。都の搦め手宇治に攻めかかる源義経勢はその内2万5千。大将義経下知すれば、鎌倉の御家人輩(ばら)は対岸の木曽勢めがけて馬を宇治川に乗り入れる。中でも出陣に際して鎌倉殿より漆黒の軍馬磨墨(するすみ)を給わった梶原源太景季が一番乗りをと乗り出せば、追うは近江佐々木源氏の四男佐々木四郎高綱、同じく鎌倉殿より給わった名馬生食(いけずき)にまたがって前を行く景季に呼びかけるには、「いかに梶原殿、この川は西国一の大河ぞや、腹帯の延びて見えさうぞ、締め給へ」。それで梶原が、腹帯を締め直す間にその脇をすり抜けた佐々木がまんまと宇治川の先陣の功を手に入れたという有名なお話し。(平家物語巻第九)

 それ以来、日本人、とりわけ常在戦場の武士階級の間では、腹帯のみならず何事も「ゆるい」ということは軽蔑されるようになったのだとか。一方で緊褌一番(いっちょうフンドシを引き締める)などと言って、戦場での緊張感を維持するため、緊縛は尊ばれるようになった。読者の中には、三島由紀夫の晩年、フンドシ一丁で日本刀を持って「益荒男振り」を示したとおぼしき写真を覚えておられる方もあるかも知れない。

 さてお話し変わって、精神分析のフロイト学派の用語に「肛門性格」(anal character)というのがある。専門的には「肛門期の発達段階にリビドーが停滞することによって形成される性格傾向」とされているが、要するに2-3歳の幼児に、トイレットトレーニングをあまり厳しくしすぎると「礼儀正しい、せかせか、几帳面、神経質、強迫的、ややサドマゾ」な性格になるというのが肛門性格である。この稿の筆者が1970年代に大学で習った所では、我が日本は、世界有数のトイレットトレーニングを早くから厳しくする国で、日本人にはこの肛門性格が多いのだとか。益荒男振りの緊縛志向と何らかの関係があるかも知れない。

 第二次世界大戦において、カミカゼ特攻という集団狂気ともいえる攻撃に直面した米国は、戦後日本を占領すると、日本人の性格改造を試みようとした。自由と民主主義を導入し、戦争放棄の憲法を与え、忠臣蔵をはじめとする仇討ち芝居を禁じ、学校教育でも体罰を禁じて緊縛拘束の「益荒男振り」文化を否定し、クラブ活動などを通じ日本文化のもう一つの側面であった「手弱女振り」の方を奨励した。(幼児教育のあり方も各種の育児書導入などによって戦後大きく変化した)

 占領米軍の努力の成果かどうかは知らないが、おかげさまで戦後日本は、ずいぶん「ゆるい」社会となった。それでも、戦後の高度成長期を担った大人達は戦前・戦中生まれで、ずいぶん肛門性格を発揮したものだが、戦後期に幼児教育を受けた世代が社会の担い手となるに及んで、社会や集団の緊張感は次第に失われて、ユニフォーム(制服だけではなく統一された様式)社会から「私服」「多様性」社会へと漸次移行してきた。

 人間のバイタリティを一定量の水だと仮定すると、出口のホースを緊縛すれば水は細く遠くに飛ぶ。弛めれば飛距離は下がるが飛ぶ量は豊かになる。どちらがよいかは好みの問題だが、宇治川の先陣以来八百年余にして、やっと日本人も「ゆるさ」の価値に目覚めたのではないだろうか。