前号に続き、若衆宿の話である。先月は、若衆宿、娘宿が江戸時代から続いた村落共同体の青少年の夜学制度であり、儒教道徳に基づく武士階級の青少年教育とは異なるコンセプトで並行して存在したこと、その内実は農事を中心とした職業訓練と共に、若者に自治の中で世間知を身につけさせるようなものであったこと、その世間知の中には性教育や夜這いの要素などもあったことなどを述べた。今号では、これらの制度の負の側面、とくに男性の若衆宿における「いじめ」の問題について述べたい。前号でも引用した朝日新聞主催司馬遼太郎没後10年シンポジウム「街道をゆく」の世界の中で、山折哲雄が司馬遼太郎の思索として次のようなことを述べている。ⅰ
● 若者宿で生活する間は、若者の間に、絶対の平等主義が貫かれていた。
一方でその平等主義、若者宿のおきてを破る者は、徹底的に村八分的な制裁を受けたこと。
● 「菜の花の沖」の中で司馬は、高田屋嘉兵衛が幼時に若者宿で執拗ないじめに遭い、その中からの 脱出を通じて創造的なエネルギーを開花させていったことを書いている。
● 司馬はそのようないじめの体質は、近代化後の帝国陸軍の中に強く残り、戦後の官僚組織や体育会系の中にも潜在することも指摘している。
つまり、村落共同体の範囲での身分差や能力差は、若衆宿(若者宿と同義)に所属する限りでの平等主義の中では問題とされず、(おそらく唯一の従属関係の基準は「先輩後輩」関係であったろう)、たとえば高田屋嘉兵衛のごとく異能を持つ者はかえって執拗ないじめの対象とされてしまうということなのであろう。この稿の筆者は、村落共同体にこのような「いじめ文化」が育った理由は、農耕を中心とする閉じられた系としての村落では、複雑な階層を持つ指揮命令系統や、能力ある者による新技術の開発などは殆ど不要で、集団に所属する者全員による同調圧力の生成こそが主要な課題であったからだと考えている。司馬遼太郎によれば、東アジアでも中国大陸や朝鮮半島にはこのような文化の種子はなく、日本にもしこの文化が伝播したものであるとすれば、南方島嶼からではないかとされている。が、南洋にこのようないじめ文化、あるいは少なくとも若衆宿の例があるか否かは示されていない。
ともあれ、近代化後の日本は、下士官兵のレベルでは、村落共同体における若衆宿の伝統と文化をそのまま引き継ぎ、その基盤の上に概ね初等教育を施された人員を徴兵し、そして士官以上のレベルでは儒教的武士文化を背景に持ち、中等レベルの普通教育と専門的な技術教育を施された人材を以て帝国陸軍を建設した。陸軍は一見すると複雑な階層構造と指揮命令系統をもつ近代組織のようであったが、基礎的な歩兵の単位(内務班)まで分解すると、そこに存在するのは「星の数よりメシの数」の「先輩後輩」秩序であり、命令一下全員が同じ行動をとる「同調圧力文化」ではなかったかと思えるのである。
最後に現代の学校における「いじめ」の理由について、上記との関係で述べたい。今日の教育制度における「偏差値文化」は、一見すると日本中の同学年者を同一の基準で序列化するものだから、上記の平等主義と相容れない様に見える。が、基準が全国同一であるという点において実は平等主義と通底している。そこには真の意味での「個性」という概念がない。そしてなんらかの顕著な「個性」を持つ者こそが、今日も学校という若衆宿で「いじめ」の対象とされているのではないか。
ⅰ 司馬遼太郎没後10年シンポジウム 「街道をゆく」の世界【基調講演】山折哲雄氏
http://www.asahi.com/sympo/060512/02.html